福岡単身者の文化志向つかめ 


  「最近、エレクトーンの教室に通い始めましてね。50の手習いです。この夏、家に帰ったら女房はびっくり。子供には冷やかされるし・・」 







   「学生時代に考古学をかじっていたので、今度の福岡転勤を契機に、古代史探訪を始めるつもりです」(写真は佐賀の吉野ケ里遺跡)。





    転勤チョンガー族と会ってた聞いた話である。家族と離れて暮らしている利点の一つには、自由な時間があること。どんなに忙しくても目的を持ちさえすれば文化教室や日帰り旅行に出るくらいの時間をすぐできる。こうした人たちを〝博チョン教養派〟と呼ぼう。






 「転勤して半年ほどは仕事があって、さて夕食は何にしようかと憂鬱でした。たまたま柳橋連合市場(福岡市中央区)の前を通り、新鮮な魚を買って見よう見よう見まねで作り始めてから料理にこっちゃいましてね・・・」 




     「焼き物はいいですよ。妻子が5月の連休に東京から出てきて、有田の陶器市に連れて行ってから色々集めています。最近はコレクションに飽き足らず、社の後輩が作ってる陶芸サークルに入れてもらい、粘土をこねているんですよ」     


   彼らはさしずめ〝手作り派〟か。単身赴任の支店長約50人と会ってみて感じたのは意外な趣味や行動を持っていることだ。     






       まだまだ教養派も手作り派もそんなに多くはない。余暇の過ごし方では「その他」にくくられてしまう。しかし、これからゴルフやカラオケとは一味違った個性的な趣味を身につけたいと考えてる人は多い。    






    数年前に会った博チョン族に比べると文化的思考が強まってる気がする。夜の彷徨派やゴルフ、カラオケ派の人はもちろん高いが、そうした人たちも「それ以外の何か」を求めている話をよく聞いた。「文化志向の芽生え」が盛り場中洲の不景気の原因になってると言えるかもしれない。もちろん交際費が減ったとか値段が高いのが1番の原因だろう。 






   しかし、「中年になっての1人暮らし。唯一の楽しみが中洲で飲むのとゴルフなんて虚構の人生ですよ」と以前言っていた博チョン氏が日曜画家の仲間入りをして楽しそうにやってるの見ていると、その感を深くする。   





   今後とも中洲離れは一段と進み、そこで浮いた自由な時間をそれなりの創造的な行動に振り向けていく動きは強まる。 


     様々な博チョン族の生態がある。その中で少数派の心情のヒダまで統計ではなかなか取らえにくい。   調査対象以外の人たちとも会ってみた「博チョン族の生活と意見」の一端である。


    こうした少数派が数年後に大きな流れになることは確実で、単身赴任者相手の商売もそれに対応した個性化を備える必要がある。


   (岩田 誠) 


      日経MJ流通新聞コラム 掲載



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気になったブログから引用 させて頂きます 


我が敬愛するピアノの師匠マダム・SMがお茶を飲みながら言った。

「あなた、サッチョン・フクチョンって知ってる?」

(ハカチヨンの方が語呂がいいかな)

「何ですか、それは」

「昭和30年代から40年代によく言われてた言葉でね、チョンガーって韓国語で独身って意味じゃない。で、福岡と札幌があの頃特に単身赴任が多くてね、サッポロ・チョンガー、フクオカ・チョンガーを縮めてそう言ってたのよ」

「ああ、歓楽街も大きいのがありますもんね。じゃあ大阪や東京も、そんな風に言うんでしょうか?」

「さぁ、あんまり聞かなかったわねぇ。何だかあの頃はサッチョンとフクチョンの人達の家庭が特に問題が多くて、それでよく聞いたのかも知れないわね。女性問題やら、奥さんの浮気やらで」

「ウチの父も日本中を単身赴任してましたけど、結局北海道で浮気がばれて大騒ぎになりましたからね。我が家もサッチョン家庭だったんですねっ」

「あらあら、それは大変だったわねぇ。うちもねぇ、7年もイランにいたから、何してたんだか判んないわ。知らぬが仏かもねぇ」

何だか知らないが、私の周りには単身赴任家庭や、転勤族や、単親または擬似単親の家庭の人達が圧倒的に多い。

家族が離れて暮していたり、生まれ故郷を離れて住処を点々としたりして、そのつど得る物も失う物も沢山あるんだけれど、精神的な風通しは、みな押しなべて良い感じがする。

生まれた土地にずっと住んで、家族がみっちりと一緒に暮して、異なる風習との接点もなく過ごしてしまった人達は、これからの世の中に対して、少しハンデを感じる事が多くなるかも知れないなと思う。

何となく、そんな気がする。