竹中オクサーナさん

(ウクライナ出身)



  


    # ロシア侵攻以前の記事



 「お母さんが作ってくれる料理の中で一番好きなのは何?」と尋ねると、末っ子の小学校3年生の男の子から、「あさりのお味噌汁」と意外な答えが返ってきた。これは渋い。






    オクサーナさんはきっとお義母さんから日本についていろいろ教えてもらっているに違いないと筆者は直感した。


 

ご主人とオクサーナさんのお付き合いは文通から始まった。ご主人の友人がウクライナ人と結婚し、その友人の紹介でご主人はオクサーナさんと知り合った。日本とウクライナ間で手紙のやり取りが始まったが、その当時はお互いの国の言葉は全くわからず、友人を介しての文通であった。


    そこでご主人は「言葉は何とかなる」という強い信念で、辞書を買いロシア語の勉強を始めた。


 そんな努力のかいあって、2003年ハワイで結婚式を挙げ、ご主人の実家がある海南市での生活が始まった。


    現在、大学や専門学校で英語を教えるご主人、中学2年の長男、小学5年の長女、小学3年の次男の5人家族で、日本在住15年目を迎える。


  ウクライナ料理




  日本に来た当座は毎日毎日驚きの連続だったが、今はもうすっかり日本の生活に慣れてしまって何も驚かなくなったと言うが、そこをなんとか思い出してもらった。


    まずは気候の違い。ウクライナは冬が長くて暗い。10月には雪が降り、朝8時はまだ暗く、午後3時にはもう暗くなる。太陽光も弱い。だから短い夏にしっかり外に出て太陽を浴びる。


   厳しいウクライナの冬に比べると、日本の冬の寒さは楽だが、和歌山の溢れる太陽と夏の蒸し暑さはそれはもう大変。


    日本に来て間もないころ、ご主人が仕事に行った後、オクサーナさんは自転車で近所の探検にでかけ地域になじもうとした。そしてご主人が帰宅すると二人でロシア語を勉強した。


    流暢に話せるようになるのに2年かかったというが、今は夫婦の会話はロシア語。日本語で話していて、オクサーナさんがわかりづらい所はご主人がロシア語でサポートする。おそるべし、愛の力!! たった2年で未知の言語をマスターするとは。






     3人の子どもを育て、学校に通わせる中で学校からのお知らせや手紙を読み、返事をするのはご主人。そして、できることはオクサーナさんが実際に行動する。


   風情ある海南市黒江の街並み

   


    

   日本の医療や教育システムは規則が多くて面倒なこともあるが、安心・安全であること、また子どもの通う学校の先生方や周りの方たちがやさしく親切なことに感謝していると話してくれた。

   そして何よりも、外国に住んでいることのストレスを感じないように心がけてくれるご主人のやさしさに感謝しているそうですが、実はこのご夫婦、よくけんかするそうです。


       けんかして自分の意見を言うことで、相手の考えを知り、どこに原因があるのか、自分のどこが悪かったのかをお互いに反省する。


    けんかをしないということはもうあきらめているということ。けんかすることでお互いにより深く分かり合える。日本のやり方を押し付けて、日本のしきたりに合わせなさいと言うのではうまくいかない。どこまで歩み寄って暮らしていくか、お互いを認め合えるかどうかが問題となる。


     なるほど。筆者も自分に重ねて反省しきりです。


     努力を惜しまなかったのはオクサーナさんも同じ。


   家に閉じこもっていないで地域や学校へも積極的に出かけ、小学校でママさんたちとソフトバレーボールを楽しんでいる。また、自分の考えはしっかり言うが、ご主人やお義母さん、周りの方たちから日本の習慣やしきたりを広い心で受け入れている。


      気候も習慣も文化も何もかも異なる日本にご主人を頼りにたった一人でやって来たオクサーナさんの勇気と決断に脱帽。お二人の愛の深さに乾杯!!


 (林 多恵子)