「好色五人女」「好色一代男」などの浮世草子の作者として知られる井原西鶴は、和歌山県日高川町の出身であるということが有力な説となっている。




    現在に残る西鶴の羽織や自画像に描かれた家紋を調査した結果、いままで言い伝えに過ぎなかった西鶴日高川町出生説が、確かさを帯びてクローズアップされるようになった。


 日高川町大字三十木には井原家同族会による記念の碑が建ち、独特の筆致で町文化を表現した井原西鶴を偲んでいる。





 井原西鶴の著書などから「江戸の町人文化」を振り返り、その庶民のエネルギーを「元気の素(もと)」にして、企業経営に生かそうという動きが広がっている。




  その世界で日本一になろうと決心する「好色一代男」は面白く、おかしく、エンターテイメントとして読める。一人の男が3000人以上の女性と関係すること自体不可能だが、庶民の夢をそこに投影させて、ベストセラーに仕立てあげる。

 

 出版社を江戸に求め、表紙を派手にし注目させ、内容も充実させ、江戸の知的水準の高い人にもアピールする。


    溝口監督の「西鶴一代女」は素晴らしい






井原西鶴の「好色一代女」を原作に、男たちに翻ろうされ堕ちていく女の悲劇を描いた溝口健二の最高傑作。田中絹代が一世一代の名演技を見せる。ベネチア映画祭監督賞受賞作。共演は三船敏郎。

   ⬇️




 ともあれ、西鶴の描いた人物は、今までの江戸時代の一切のタブーから解き放つ。



     


  

  井原西鶴の著書などから「江戸の町人文化」を振り返り、その庶民のエネルギーを「元気の素(もと)」にして、企業経営に生かそうという動きが広がっている。




   性の楽しみも堂々と 


   「武道伝来記」には、  「今日は非番の暇(いとま)にて、奥の間とりはなして、内儀と只ふたり、しめやかに物がたりし、勤の苦労もこのたのしみあればこそ、何心なく仮枕するを」。

    

     勤めの苦労もセックスの楽しみがあるからこそという、健康で大らかな態度。




    西鶴の商人への生き方の勧めは、若い時は大いに働き、時期がきたら、家督をゆずって、ゆっくり趣味に生きよ、といった考え方だ。










        永代蔵」の中の有名な話は、三越の前身

 「越後屋」の創始者が「現金、正札   販売」を掲げ、大繁盛した。当時、現金売りは旅行者か破産者に限られていたから、「こんな不景気なのに売れるはずがない」と最初は江戸の人々に笑われたのに、開店したら押すな押すなの盛況ぶり。単なる売り方の変革だけでなく、「服のオーダー」などサービスも革新的だったという。




『浮世の月見過しにけり末二年』



 この辞世吟、人生50年の時代と言わ れた時に、52歳まで生きた西鶴の清澄な境地を表わしている。好きなように生きてきたから、何の悔いもないといった思いが伝わってくる。




 岩田 誠


                    (経済雑誌掲載)