再録   動画加えました


海外との架け橋に

出所者の復帰支援


   和歌山市民で、西平 都紀子さんの名前をご存じない方を探すのは難しいだろう。彼女は一企業の経営者であるが、その経歴や活動は異彩を放っている。今回「をんな情豊局」でも彼女に迫ってみた。(中村 聖代)




【女性のチャレンジ賞】

 西平さんは、県を中心に15店舗展開する飲食店チェーン「株式会社 信濃路」の代表取締役である。彼女自身様々な活動を通して成長し、平成26年には、内閣府主催の「女性のチャレンジ賞」を県下で初めて受賞し、谷垣禎一法務大臣(当時)を表敬訪問した際、感謝の言葉を受けた。

 



   その内容は、男性が圧倒的多数を占める刑務所出所者等に対して、前歴を承知の上で女性の視点から雇用する協力雇用主として、平成18年から社会復帰支援を行ったということだ。


【家業の継承】

 昭和50年に西平さんの父・猛さんが脱サラで開いたそば処から徐々に店舗を増やし、都紀子さんは平成7年に31歳の若さで社長に就任したその経過はこうだ。


   彼女は初めからそば屋を継ぐとは考えておらず、大阪でモデルの仕事をしていた。5店舗目にあたる海南店オープン時に父から手伝いを頼まれたのをきっかけに、家業に携わるようになったが、経営者である父が入院して3か月で急死してしまった。



 店長から社長になった都紀子さん、「『この仕事ができて良かった』と社員に思ってもらえるような会社にするぞというところから、私の戦いが始まりましたね」。


   朝9時から夜9時まで毎日休みなく働き、包丁の使い方や天ぷらの揚げ方など、一から勉強した。





【青年会議所で】

 「自分が成長しなければ部下の成長もない」と思い、異業種交流団体である青年会議所に入った。メンバー200人中、女性は3人しかいなかった。「高校中退、ただの蕎麦屋で女性である自分がどこまで通用するのか、しないのかを試してみようと思い、女性を捨てて飛び込みました」。ここでは第46代理事長を務めた。


   そして、同業種の団体である大阪外食産業協会(ORA)に入ることで、経営を学んだ。


「この二つに所属して、いろんな悔しい思いもしましたが、10年ほどしてやっと一人間として認められる存在になったのかなと思います」。


【地域起こしに参加】   

   青年会議所卒業後の40歳からは、店を信頼できる社員に任せ、仕事を通して地域を活性化できる活動はないだろうかと考えるようになった。


 「紀州よさこい祭り」を立ち上げから関わったり、「Jリーグチームを和歌山から作ろう」といった活動にも参加している。


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     岸本周平 和歌山県知事と



【半世紀生きて】

   で、50歳を超えた現在、「新たな人生が再びスタートしたような、また新たな挑戦が始まるのかなという感じです」。


 都紀子さんは、今後は和歌山と海外の架け橋になりたいと考えている。海外で出店という形ではなく、ひとつはベトナムで日本の教育を普及しようと活動している。

 

   「ベトナムでは日本語が話せると、給料がかなり違ってきます。日本語教育で人生が変わるんです。そのお手伝いをしたいのです」。


 16歳のころ、サッカー「レディース」で鍛えた根性が今も息づいている都紀子さんです。