節分を過ぎたこの頃に、いつも今年はどうしようかと悩むのが「おひなさま」です。








       仕事柄、何かと忙しいこの季節。出すのもしまうのも一苦労なひな人形ですが、娘が子どもの頃はクリスマスツリーよりも何よりも、おひなさまを楽しみにしていたことを思い出し、奮起して、毎年なんとか出しています。


 私が生まれ育った和歌山市加太には、ひなまつり発祥の神社とされる淡島神社があり、ひな祭り行事のある3月3日は、子どものころから特別な日でした。ひな祭りの語源は淡島神社のご祭神である「少彦名命」にちなんだ「スクナヒコナ祭」が略されたものとされ、友ケ島から対岸の加太へのご遷宮があったのが仁徳5年3月3日だったことに由来するそうです。


      淡島神社は全国の流し雛の行きつく先で、ここから神々の国に旅立つとされ、毎年、たくさんのお雛様を乗せた船が、きらきらと舞う紙吹雪に導かれるように、沖へと揺れる波間を進みゆく雛流しの風景はなんとも幻想的です。







     私のひな人形は、7段飾りで出すにも場所がないため、進学・就職・結婚で加太の地を離れて以降は母の実家の倉庫で眠っていました。祖母が生きていたころは毎年飾ってくれていましたが、祖母が亡くなって飾れなくなった年に雛流しの船に乗ったのでした。


  結婚して娘が生まれ、母から贈られたひな人形はマンションのスペースを考えて3段飾りですが、娘が巣立ち家を出てからは、ついつい出すのが面倒に思ってしまうのに、あの7段飾りのおひなさまを私がいなくなっても飾ってくれた祖母や母の愛を深く感じて、じんわり涙が出てきます。


     ひな人形には、その年の厄を身代わりに引き受けてもらい、我が子の健やかな成長と幸せを願う親の想いが込められています。桃の節句に、親が子を思う心が、祖母から母へ、そして娘へと脈々と受け継がれる、そんな日本に生まれたことを誇りに思います。


   (石井 敦子)


  わかやま新報女性面掲載  299