林 多恵子さんは、和歌山市内の小学校教師を退職後、よみきかせや国際交流センター・YМCA日本語科でのボランティア活動に忙しい日々を送っている。少子高齢化の現代社会、健康で生き生き輝く毎日を送りたいと誰しもが思う。我々も彼女の生活を横に見ながら、自分の居場所や、やれることを見つけて社会に関わっていきたい。

 (中村 聖代)


  読み聞かせグループと



   林 多恵子さんは、市内に生まれ吹上小学校、西和中学校、桐蔭高等学校を経て和歌山大学教育学部に進んだ。


 人材の多くが県外に流出する和歌山県であるが、多恵子さんは和歌山で働くことを望んだ。大学卒業当時、和歌山市では中学校の英語課程の採用枠は無かったが、小学校課程の枠が多くあった。多恵子さんは近くの小学校に正式採用されたのだった。


【教師時代の失敗】


   教師である多恵子さんは、子どもたちから学ぶことも多かった。今でも心に残ることがあると言う。子どもの声にきちんと耳を傾けるべきだったと。


 それは着任1年目の話だ。カレーを残したいという子どもがいた。何故かと思いつつ、「がんばってもう少し食べよう」といった対応をした。そうしたやりとりがあったあと、懲りずにまた残したいと言ってきた。どれだけ食べたのかと見に行くと、その子の食器の中には溶けずに残っていたカレールーの塊があった。現状を見ずに判断したことを猛反省した一件だった。


【年下の夫との出会い】

 教師生活を続けていると自ずとベテランになる。多恵子さんが30歳になった頃、若干23歳の男性が補助教員として着任してきた。「声も小さいし、頼りないな。大丈夫やろか」多恵子さんの母性本能がくすぐられた。その彼は十年後、生涯の伴侶となった。


読み聞かせ【言の葉グループ】の仲間と



   結婚後1年目、41歳にして一児の母となった多恵子さんにとって、教え子が出産・育児の先輩にあたる。出産祝いに来てくれた教え子が3児の母となっていたり、クラスの子どもの保護者がかつての教え子だったり。ここでも本当に教えられることが多かった。


【定年退職後の日々】

 平成17年、54歳になった時に小学校を退職。それから次の人生が始まる。よみきかせグループ「言の葉」として幼稚園・小学校・書店などを訪れる。


 JAF(日本自動車連盟)和歌山支部にて「ドレミぐるーぷ」を立ち上げ、子どもたちに交通安全指導を行う。国際交流センター「おはようクラス」では日本語の勉強や日本文化の紹介を行う。


   そしてYMCAでの活動。日本語を学びに来た学生たちが、放課後に1対1で会話の練習をする相手として多恵子さんのようなボランティアがいる。


   1週間に1度、1時間程度のコミュニケーション。言葉が通じなくても紙に書いたり、身ぶり手ぶりで何とか分かりあおうとする。お互いの気持ちが分かりあえた時の嬉しさ―そのために頑張る。

「『今日何を食べた?何か困っていることはない?』といった簡単な日常会話をするのですが、親密になると情がわいてきて、彼らの母親になったような気がしてーハハというよりオバアチャンでしょうか?」


【文化の違いを超えて】

 日本語クラスは様々なコースがあり、2年間であったり1年間であったり、もっと短い期間も、途中で帰国することもあるが、これまで16人の学生と交わってきた。


   こんなこともあった。感謝の気持ちとしてボールペンを贈られた。が、包まれていたのは黄色と白の水引のかかった金封であった。風習を知らない外国人はリボンのようなものが付いている封筒がプレゼント用として最適だと思ったのだろう。多恵子さんは有難く頂戴するとともに、日本で暮らすなら、と水引の色や形の違いによる用途を説明したのだった。


 文化の違いは様々あれど、同じ人間同士分かりあえることができる―多恵子さんは今日もボランティアに向かう。【わかやま新報女性面】