Bach(バッハ)は 誰も言葉にしてはならない

 

        朝の光がそっと射し、小鳥や人々に一日が始まろうとしている時にバッハを聞きたい。遠くから微かでもいい、現実にそうは行かないけど。


      私は命が輝く日は、また死への誘いを遠くに感じる時にバッハを。



           最もポピュラーなメロデイーには『G線上のアリア』があり、ピアノ練習曲の初期に『インベンション』がある。その第1曲目は間単な少しの音だけでできている。しかし誰もこれを超える曲は作れない。


     音楽は神秘な数でできている。男の子に弾くことを進めたらすごいっすこの曲と興奮した。彼は今から始まる人生を予感したのだろうか。


     クラシック世界最高峰の一曲だよと、私は心の中で語りかけ『マタイ受難曲』のCDをかけた。



     いま、『無伴奏チェロ組曲』を聴いている。ピアノ伴奏もオーケストラの演奏も、和音というものもない。


     バッハは旋律だけが2曲、3曲と同時進行していく(対位法といいます)。『ロ短調ミサ曲』、『イギリス組曲』、『ゴールドベルグ変奏曲』、『無伴奏バイオリン組曲』その他数え切れない。


     バッハは約326年前、ドイツで生まれている。モーツアルト、ベートーベン、ショパンなど多くの音楽家が彼に学んだ。曲は神秘な響きで、飾らない清冽さで、魂の静謐(せいひつ)さへといざなっていく。






     音は少ないけど宇宙の深遠な宴のようである。修飾で語れば何かを失い、言葉はむなしく聴こえる、こころが沈んだ日に聞けば尊い音に凛とさせられる。


    「バッハが好きよ」という人がいれば「私も」と言って恋がはじまる。不思議なBach!


     教会のオルガニストだった彼が、赤あかと灯る夕べのひと時、チェンバロを弾き、家族が囲み慈しみあう姿は、人々の原点ではないだろうか。
(山下はるみ)