映画『幻の光』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『幻の光』

『幻の光』

(上映中~9.13:ほとり座)

公式サイト:https://maborosi.online/

 

能登の雄大な自然を背景に、一人の女性の喪失と再生を描いています。

是枝裕和監督の長編映画デビュー作で、原作は宮本輝さんの同名小説。

1995年製作の映画ですが、収益から諸経費を除いた全額を輪島市に届け、

能登半島地震からの復旧復興を祈念しての再上映ということです。

 

約30年前の映画です。

江角マキコさん主演。女優デビュー作ですって。若い!可愛い!

浅野忠信さん、内藤剛志さん、柄本明さん、みんな若い若い!

少しだけ出てきたのは・・・、おぉ!大杉漣さんだ!やはり若い!

そういえば、江角さんてあんまり映画で観た記憶ないなぁ・・・。

と、最初はどうしても物語とは別のところに気を持っていかれました。

 

しかし、物語はとても深いテーマ性を持っています。

12歳の時に祖母が失踪したゆみ子は、

祖母を引き止められなかったことをずっと悔いていました。

大人になり結婚し、息子の勇一を授かり、幸せに暮らしていましたが、

ある日、動機がわからないまま夫の郁夫が突然自殺をしてしまいます。

ゆみ子はまたしても、愛する人を失う悔恨の念にさいなまれます

 

ここまでの舞台は尼崎です。

原作の発表は1978年で、時代背景ははっきりとはしていないのですが、

その時代にゆみ子が大人だったとするなら、幼少期はもっと前。

あまろっくとは全く違う、当時のいかにもな尼崎の雰囲気です。

江角さんと邦夫役の浅野さんの関西の方言にかなり無理があります。

最近の映画ほど徹底した方言指導はされていない時代だったのかも。

 

(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)

 

邦夫が亡くなって5年後、

ゆみ子は奥能登・輪島市の小さな村に住む民雄と再婚しました。

先妻に先立たれた民雄には、娘の友子がいました。

ほどなく勇一と友子は仲良くなじみ、ゆみ子にも平穏な日々が・・・。

もう、このあと何も起きないんじゃないかと思うくらいに、

その平穏な日々がゆったりゆったり描かれています。

あ~宮本輝さん、あ~是枝裕和監督・・・って感じがします。

 

そして、その先に、それ以上に宮本さん、是枝監督らしい世界観が。

だが半年後、弟の結婚式のためにゆみ子は尼崎に里帰りしました。

そうなると、いやおうなく郁夫との過去を思い出してしまい・・・。

その直前にゆみ子と民雄の“営み”直後のシーンがありまして、

そこではゆみ子の方が幸せそうにしていたというのが上手い演出です。

 

ちなみに、民雄役は内藤剛志さんでして、

ぶっちゃけ、彼の方がめちゃめちゃ大阪弁やん!と思っていたら、

民雄は輪島出身だけど、中学時代に大阪に出ていて、

大人になってからUターンしてきたという設定なのでした。

で、不思議なことに江角さんの関西訛りも、

輪島に嫁いでから割と自然になっていて、順撮りだったんですかね。

 

話を戻して、やはり、ゆみ子の自責の念は消えていませんでした。

それが再び湧き上がってきて、ゆみ子は元気がありません。

しかも、自分たち家族のためにカニ漁に出て行ったおばさんの船が、

嵐にあって、帰ってこれなくなる事態が起きました。

また自分が見送った人が帰ってこないことになったら・・・。

 

それは結局は無事だったのですが、ゆみ子の心は晴れぬままです。

そんなゆみ子を、民雄は言葉少なに、程の良い愛をもって接しています。

ついに出て行ってしまったゆみ子を探し出した民雄は、

ゆみ子の苦悩に、父から聞いた「光」の話を聞かせました。

人は突然、理由なく「光」に誘われしまうことがあるのだ・・・と。

その話の真偽は問う必要はなく、その話をした民雄の優しさが沁みます。

 

人が亡くなること、別れには、さまざまな経緯があります。

今回の能登半島地震でも多くの方が犠牲になりました。

見送った方の中には、たとえ不可抗力だったとしても、

自責の念にかられている方が少なくないかもしれません。

その思いを消し去ることは簡単ではないかもしれませんが、

穏やかな日々が早く戻ってくることを願わずにはいられません。

 

そういった意味でも、能登が舞台になった映画は他にもある中、

今回の復興支援で本作が上映されることの意義みたいなものを感じました。

観光映画、ご当地映画の雰囲気は排除された作品であるからこそ、

日々の生活の一部として存在していた朝市の映像も、

今だからこそ、別の感慨を持って観た次第です。