映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章・後章』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章・後章』

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

(【後章】上映中~:J-MAXシアターとやま、TOHOシネマズファボーレ富山、TOHOシネマズ高岡)

公式サイト:https://dededede.jp/

 

なるべく前章・後章を間を開けずに鑑賞したいと思っていたのですが、

前章の劇場上映が思いのほか早く終わるという情報の中、

前章は4月末、上映最終日に一度鑑賞していました。

で、後章は5月24日公開で、あ~、やはりね、また前章もやるよね。

正直、前章は面白かったのですが、少し記憶が薄れていたので、

改めて前章も観なおして、同じ日に続けて後章も鑑賞しました。

ちなみに、富山県内の劇場での前章の上映は今日(5.30)で終わりました。

 

【前章】

2回目の鑑賞も面白かったです。よくできてると思います。

浅野いにおさんの漫画が原作で、映画は原作と異なる点があるそうですが、

私は例によって未読なので、その違いは分かりません。

ただ、浅野さんは変更部分も含めて、映画制作に関わっておられます。

 

3年前の8月31日、巨大な宇宙船「母艦」が突如として東京に襲来しました。

人類は宇宙船の乗員を「侵略者」と呼びましたが、

実は東京上空に浮遊しているだけで、特に攻撃などは仕掛けてこず、

逆に米軍が攻撃した爆弾で都民に多くの犠牲者が出てしまいました。

それから3年間、母艦から小型船が出てきたり、それを自衛隊が駆逐したり、

そんなことはありましたが、それは日常として認識されるようになりました。

そんな中での、高校3年女子、小山門出と中川凰蘭を主人公にした物語です。

 

(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)

 

前章ですから、いろいろ明らかにならないまま終わってしまいました。

でも、明らかになってないから面白いということもあります。

現在の門出と凰蘭は高3ですが、小学生時代の思い出が出てきます。

これが、今の二人とはキャラクターが全く違うんです。

小学生時代は暗かった凰蘭が今は弾けているのはなぜなんだろう。

え?門出がそんなことに・・・。なら、今の門出は本当に門出なの?

 

侵略者は宇宙服のようなものを着ています。

が、一人だけ人間の格好をした、多分、侵略者と思しき青年がいました。

そもそも、人類が侵略者と呼んでるだけで、彼らは本当に侵略者なの?

人類は歩仁だの直仁だのと強力な兵器を作って侵略者を攻撃しています。

そういった攻撃の結果として人類に犠牲者が出ています。

ですが、それすらも“日常”として捉えている人たちもいる怖さ。

 

この時代に『イソベやん』という漫画がありまして、

どこからどうみても『ドラえもん』がモチーフになっています。

のび太に当たるキャラクターはデべ子という女の子でした。

物語の展開として、門出と凰蘭は小学生時代に出会った侵略者から、

『イソベやん』みたいに不思議な道具を与えられました。

自分の正義を絶対視してしまった門出は道具の使い方を間違えます。

この辺の正義論については、私が以前から訴えている通りです。

普遍的な正義なんてないんですね。個々の都合があるだけです。

 

そして、彼女はもう一つ、大事なことに気付きました。

イソベやんはデべ子の道具ではなく友達だったのだと。

ちなみに、「デべ子のことが嫌いだった」という台詞には共感しました。

実は私ものび太のことがあまり好きなキャラクターではなかったので。

でも、人は大事な人を守ることで強くなる。が、ポイントの一つで、

そのためには、『ドラえもん』は良い教材といえるかもしれません。

 

その他、凰蘭の兄は痩せたら格好良いんだろうと思ったら案の定・・・とか、

ネットの情報を「みんなそう言ってる」と信じ込んでいた小比類巻は、

その後、どうなっていくんだろう・・・とか、侵略者の真の目的は・・・とか、

終盤で石川県から上京してきた同級生の男女二人はどうなる・・・とか、

後章でいろいろ明らかになるんだろうな・・・と思う中、

人類というか政府の攻撃で侵略者がたくさん地上に降ってきて、

「人類終了まであと半年」のテロップとともに前章は終了しました。

 

物語以外の点で、前章ではっきりしたことは、

門出の声を幾田りらさん、凰蘭の声をあのさんが演じていて、

二人ともことのほか上手だったということです。特にあのさん。

 

【後章】

で、間に何も挟まずに後章を鑑賞しました。

どうしても答え合わせみたいになるので、

前章ほどのミステリアスな面白みは感じなかったのですが、

いろいろ腑に落ちた種明かしと結末でした。

 

石川から上京した二人のうち、

女子のふたばは大学で門出や凰蘭たちの同級生になりました。

政府は侵略者の駆逐を進め、自衛隊員が次々と殺していきます。

しかし、それに反対する市民もいて、抗議活動などを行っています。

一方、政府よりも侵略者を殺戮して新しい指導者にならんとする奴もいて…。

このあたりは今の社会とあまり変わらないというか、

そうなるだろうな・・・という、しかも、これも“日常”のようになっている怖さ。

 

実は地球がこのような状況になったのは・・・、ここが凄い。

凄いのは確かなんだけど、いや、これは既視感があるぞ・・・。

そうだ!天気の子の主人公も彼女と同じことを考えていましたよ。

自分の愛のためなら世界を変えても構わない・・・と。

これ、そういうことなんですね。

一方で自分の世界じゃない人類のために命を懸ける侵略者もいて・・・。

どちらが正しいとか間違っているではないのですね。

 

本作は『イソベやん』は分かりやすく『ドラえもん』だし、

「人類終了まであと半年」というテロップは『宇宙戦艦ヤマト』だし、

『天気の子』も思い出したら、もうそれだけでは済まなくて、

後章で「確かにこの原作はスピリッツ連載作っぽい」と感じていたら、

母船の動力炉をコントロールするためのキーワードがともだちって、

これは確かに前章からのキーワードでもあるのだけど、

いや恐れ入りました。このオマージュの嵐(なのかな?)。私は好きです!

 

最後のディープインパクトな映像には不釣り合いとも思えるポップな曲は、

でんぱ組.incのあした地球がこなごなになってもという曲で、

映像の悲惨さを中和させている見事な演出だと思って後で調べたら、

この曲は浅野いにおさん作詞だったのですね。

そして、この物語は決してハッピーエンドではないけれど、

ラストシーンの門出と凰蘭、二人の会話に少し救われた感じはしました。