映画『カラーパープル』
『カラーパープル』
(上映中~2/29:J-MAXシアターとやま、TOHOシネマズファボーレ富山)
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/colorpurple/
スティーブン・スピルバーグ監督の往年の名作『カラーパープル』を、
ミュージカル映画として新鋭ブリッツ・バザウーレ監督でリメイクしたものです。
私、前作を観ていないのは、1986年公開で受験生だったからだけでなく、
当時、迫害や差別が描かれた映画は観たくなかったからだと思います。
子供の頃、同和教育(大事です)の映像作品を観る度に悲しくなったし、
大映ドラマの『少女に何が起こったか』でも結構きつかったですから。
今のドラマ『大奥』だって、小芝風花ちゃん主演じゃなけりゃ観てないです。
1900年代初めのアメリカ・ジョージア州。
幼くして母を亡くし、横暴な父に虐待され、
10代で父の決めた相手“ミスター”に売られる形で結婚し、
そこでも虐げられ、自由のない生活を送っていた黒人女性セリー。
唯一の心の支えであった最愛の妹ネティとも引き離されてしまいます。
そんな中、自立した強い女性ソフィア、歌手として成功しているシュグ、
二人の女性と出会い、影響を受け、少しずつ自分を変えていこうとします。
そう簡単にはいきませんよ。世の中も自分も簡単には変わらない。
ミスターだけでなく、当時の男どもは“不適切にもほどがある”奴ばかり。
男性は女性を、白人は黒人を、列強は植民地を虐げていた時代でした。
本作は1900年代前半から半ばにかけての物語ですが、
ついこの間まで、いや、今でもそういう考えの人は少なくなく、
近年やっと、世界でも日本でも変わりつつあるところです。
リアルな演出なら観ていてつらくなるところでしょうが、
ミュージカルに仕上げてあるので、急に歌いだして適度に緩和されてます。
本作はスピルバーグが製作に名を連ねてはいますが、
スピルバーグ版のミュージカル化というよりは、
ブロードウェイミュージカル版の映画化なのですね。
ブロードウェイ版でもセリー役を演じたファンテイジア・バリーノ主演です。
他の出演者もですが、やっぱり歌も踊りも上手い!
(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)
やたらと会話の中に「神」が出てきます。
私は「神」は人間が作った概念だと醒めた感覚でいますし、
その存在を根底から否定はしませんが、この世界を作ったのが神ならば、
あまりにも不公平な世界にしすぎではないか・・・とずっと思ってます。
神が想像した世の中で、なぜいつまでも悲しい出来事が後を絶たないのか。
いや、そもそも、神というのはそういう無慈悲な存在なのかもしれません。
だからこそ信仰があるのかもしれませんが、その議論は不要です。
ソフィアが白人である市長の妻の横暴で懲役刑となり、
そんな彼女への面会をセリーが欠かさず続けたことから、
ソフィアが「セリーの中にこそ神がいた」と感謝し称えました。
そう、神は概念であるからして、実は人の心の中にいるのですね。
どんなに苦しくても、虐げられても、セリーは歯を食いしばって生きてきた。
それも彼女の中に神がいたからできたことなのかもしれない。
そしてついに、ミスターに強く主張することができるようになった。
生き続けたからこそ、その後、人生の好転を迎えることもできました。
一方、ミスターはセリーに去られてから良い事がありません。
1945年、アメリカは戦争に勝った年ですが、彼には関係なかった。
落ちぶれ、酔いつぶれ、居場所もなくなっていく・・・。
むしろ、女性たちが立ち上がって変わった状況についていけない。
そして、彼は悔い改めることになります。
今さら遅いわい!地獄に落ちたって文句は言えんやろ!
なんて、冷たい私などは思ってしまうのですが、
いやぁ、セリーの中には本当に神がいるんですかねぇ、
ミスターはセリーとネティの再会のために少し行動しただけなのに、
あんなに酷かったミスターのことを許しちゃうんです。
最後の最後に幸せをかみしめたセリーとネティは、
姉妹そろって「今が一番若い」と歌い上げる大団円です。
結局、ずっと謳われてきた神の力や思し召しではなく、
神を敬いながら踏ん張り続けた人の力で幸せを手に入れることができた。
そして、心に神のいる人は他人を赦すことができる。
であるならば、たとえ概念であっても、
神の存在は無駄じゃないのかもしれない。と、そんなことを感じました。
気がつけば、富山の劇場上映は明日(2.29)で終了予定です。