映画『ワース 命の値段』/『バビロン』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『ワース 命の値段』/『バビロン』

4月3日現在、ついに映画の感想のUPが9本分も滞ってしまいました。

もう富山では上映終了している作品だらけになっております。

遂行不足の文章を普段よりは短めに、数本分まとめてUPします。

 

『ワース 命の値段』

公式サイト:https://longride.jp/worth/

 

マイケル・キートン主演で、アメリカ同時多発テロ被害者の

補償金分配を束ねた弁護士の実話を映画化した社会派ドラマです。

主人公のケン・ファインバーグは過去にも枯葉剤訴訟などで結果を出し、

「人の命に値段をつけること」を大学で講義もしていました。

彼は訴訟なしに速やかに補償金を手にすることは、

遺族にとっても合理的で良い話だし、国の役にも立てると考えていました。

が、この合理的にというところにとらわれすぎていたようです。

遺族は7000人、それぞれに事情や思いが違い、

しかも、事件から間がなく心の傷が癒えている遺族はほぼいない状況でした。

 

本来、命に値段はつけられないものです。

でも、それを本作の感想として訴えるのは別の話で、

ここでは値段をつける必要性に迫られていました。

でも、もっと必要なことがあったということです。

多くの遺族が求めていたものは大金よりも国からの敬意でした。

ケンの部下は遺族との面談の中で徐々に私情が湧いてきて、

ケンはそれを批判していましたが、実はそれこそが大事だったのですね。

 

といっても難しいですね。

普段の行政の仕事なら合理的もやむなしと思うところもありますが、

今回ばかりは・・・の「今回」のボーダーラインは誰も決められません。

ケンだって国のため、遺族のためという意識は持っていたわけで、

国と遺族の間に入って糾弾されたりするのは気の毒な感じもしました。

 

全ての遺族が救われたわけではありません。

ひとつの解決にはなりましたが、そもそも、枯葉剤訴訟や9.11テロなど、

アメリカ政府にも問題があるところをどう考えるかという視点もあります。

ちなみに、あの当時は共和党政権でしたが、

トム自身は実は民主党支持者だったというのは興味深かったです。

以前にも何度か書きましたが、本作も道徳の教材にできそうです。

目標を達成できてめでたしめでたしではないのです。

 

 

『バビロン』

(公式サイト:https://babylon-movie.jp/

 

ラ・ラ・ランドのデイミアン・チャゼル監督が、

ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーら豪華キャストを迎え、

1920年代のハリウッド黄金時代を舞台に、

ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢をかなえようとする

男女の運命を描いたオリジナル脚本の作品です。

 

オープニングから酒池肉林の、

しかし、今のハリウッドはこういう世界なのだ、

そして、ここで登場する人物たちが物語を紡いでいくのだという演出。

時間も長いし、品もないですが、私はかなり引き込まれました。

 

映画界はサイレントからトーキーへと移行している時代でした。

その時代の流れに乗れたか乗れなかったか、

時代はトーキーなんだと判断できたかできたかできなかったか。

判断できたし、このままでは堕ちていくと分かっていたのだけど、

変わることができなかった主人公たち。

 

これは映画界に限ったことではなく、私も身につまされる部分がありました。

上映時間189分に長さを感じることなく楽しめましたが、

華やかな宴や祭りの後の寂しさみたいなものも感じた終了感でした。