映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』

『ミセス・ハリス、パリへ行く』

(上映中~12/8:J-MAXシアターとやま)

公式サイト:https://www.universalpictures.jp/micro/mrsharris

 

1950年代後半のロンドン。

戦争未亡人の家政婦ミセス・ハリスは、

勤め先のマダムの家で見たクリスチャン・ディオールのドレスに魅せられ、

パリまでドレスを買いに行くことを決意する・・・という物語です。

いや~、とても素敵な映画でした。で終わってもいいぐらい素敵でした。

 

アメリカの人気作家ポール・ギャリコの長編小説の映画化です。

「いくつになっても夢をあきらめない」が宣伝文句なのに、

ミセス・ハリスの年齢に言及したシーンが私の記憶にありませんでした。

で、原作の紹介を調べてみたら、60歳手前でした。

ハリス役のレスリー・マンヴィルは1956年生まれ。

まぁ確かにそのぐらいに見えますが、でも、超可愛いんですよ。

高い服ではないのかもしれませんが、普段着からしておしゃれですし。

 

夢物語のようだけど実話ですか?と勘違いしてしまうほど、

当時のイギリスとフランスの世相が物語に上手くリンクしています。

ハリスが初めて魅せられたディオールのドレスは500ポンドでした。

あとで調べました。当時1ポンド=約1000円だったそうです。

当時の500ポンドは50万円。私にもですが、ハリスにも大金です。

といっても、彼女は裕福ではないけど極貧生活でもないんです。

給金を払ってくれない顧客もいる中、細々と暮らしてはいけてる。

 

(以下、“かなり”ネタバレしています。ご了承ください)

そんなある日、サッカーくじが当たって150ポンド手に入りました。

俄然、パリに行く気持ちが上がって、コツコツ節約生活を始めました。

が、ドッグレースで「オートクチュール」という名の犬が出走していて、

「これは運命だ!」とばかりに100ポンドつぎ込むも最下位に。

この流れが上手くできてます。博打の金では夢はかなわないのです。

 

でも、友人の機転や、今まで貰ってなかった遺族年金が入って、

どうにかこうにかお金がたまって、パリに行けることになりました。

ここまでの経緯が丁寧に描かれていて、

なかなかパリに行かないなぁ・・・てな感じではありますが、

顛末だけでなく、ハリスという女性のキャラクターも理解できました。

彼女は常に本音で接し、家政婦という仕事にも誇りを持っています。

 

さぁ初めての飛行機に乗って、憧れの街パリにやってきたらゴミだらけ。

当時のフランスは政情不安定で、各地でストライキが続いていたんですね。

でも、ゴミだらけでもパリは花の都。

クリスチャン・ディオールも一流の品格を保ちつづけながら、

しかし、経営的には転換点を迎えていました。

 

このタイミングでハリスがパリに来たことに意味があります。

当時のディオールはお金持ちのお得意様だけを顧客にしていました。

女性支配人は一目見ていかにも庶民のハリスに横柄な態度で、

あなたはディオールのブランドの相応しくないとさげすみました。

しかし、運よくお得意様の侯爵に誘ってもらったことで、

新作ファッションショーを観る機会を得ます。

いや~、ファッションに興味のない私が観ても、目を奪われるドレスの数々。

ディオールの全面協力で、当時の作品を再現したとのことです。

 

支配人とは違い、現場のスタッフはハリスを歓迎しました。

一つは、彼女が現金一括ですぐ支払ってくれるお客だったから。             お得意様はお金持ちなのに即払いしてくれないんです。

もう一つは、もちろん、彼女の正直で可愛い人柄に惹かれたのです。

「ハリスのような人にこそ我々の服を着て欲しい」

とスタッフたちが思う流れに無理がない脚本の上手さを感じます。

 

今度はオートクチュールができあがるまでの過程が描かれます。

ハリスはしばらくパリに滞在することになりました。

ディオールの青年会計士アンドレが「妹の部屋が空いているので使って」と、

ところどころ都合よく展開しますが、観ていて嫌な感じがしません。

私もハリスさんに惹かれちゃってるので共感してるんですね。

 

さて、ここからがまた凄いんですが、

ディオールのTOPモデルのナターシャ(すごく可愛い!)が、

熱心にサルトルの「存在と無」を読んでいました。アンドレも読んでいました。

分かっていないハリスは「私もミステリー好き」なんて言ってますが、

ナターシャもアンドレも優しいので、もちろん馬鹿にしたりなんかはしません。

 

それどころか、自分に正直に生きているハリスと、

本当は哲学を学びたいのにモデルをしているナターシャ、

いつまでもお金持ち相手の商売をやめられないディオール、

変革したい意見があるのに言えずにいるアンドレに、

即自や対自、対他、実存主義を照らし合わせているかのようでした。

 

しかも、駅のホームレスの男性もこれを理解していました。

勉強してるのに仕事がない、当時のパリの現実。なんでしょうか?

いや、このホームレスは高等遊民だったのかもしれません。

私こそ、ハリスさんほど分かってないこともないですが、

いや、そこまで深く哲学を理解できてるわけじゃないですよ。

ただ、本作の本質は「存在と無」が根底にあるとは感じました。

 

その後、ドリームストーリーとは概ねそういうものだとばかりに、

物語は私のような労働者階級が喜ぶ展開になりますが、

支配人のような嫌な人だけどブランド力を守ろうとする人だって必要だし、

彼女もただ傲慢だったわけじゃないという救いも描かれています。

そして、最後まで家政婦の給金を払おうとしないマダムに、

ハリスが「リスペクトのない雇い主には従わない」と宣言する爽快さなど、

最後までいろいろ要素を含みながらもとっちらかることなくまとめて、

こんなに素敵な話に仕上げてしまうなんて!と満足しました。

 

ミセス・ハリスの魅力は彼女の中身にこそあります。人は中身です。

でも、私でも素敵な洋服に身を包むことの意味は分かっているつもりです。

ディオールなどの高級ブランドは、世情に合わせてスタイルを変えつつも、

その使命を担い続けている凄さがあると、改めて感じ、学びました。