映画『あのこは貴族』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『あのこは貴族』

『あのこは貴族』

(上映中~:J-MAXシアターとやま)

公式サイト:https://anokohakizoku-movie.com/

 

山内マリコさんの同名小説の映画化です。

すみません、例によって原作未読の映画鑑賞ですが、

山内さん原作で過去に映画化された2作品に比べると、

本作は群を抜いて面白く、共感点も結構ありました。

異なる環境、異なる階層にいる二人の若い女性の生き様が

物語の中で上手くリンクした形で描かれていていました。

 

(※以下、ネタバレはあまり気にせず書いてます)

二人の女性のうちの一人は、東京に生まれ、東京で育ち、

箱入り娘として何不自由なく育てられてきた榛原(はいばら)華子。

年明けの夜中に親族がホテルで会食するような家族です。

寿退社をしたつもりが彼氏にフラれ、その後に紹介される男も変な人ばかり。

というか、この作品、最初から最後まで魅力的な男は出てきません。

そこをどう受け止めるかですが、私は嫌悪感は湧かなかったです。

私も世の中にはそんなにロクな男っていないよねぇ。と思っているから。

 

ただ、華子は「結婚して幸せになる」ということに疑問のない女性でした。

門脇麦さんがいい意味で無機質に演じていて、上手さを感じました。

思っていることはあるし、意見も言うから嫌な見合い相手は断ったけど、

華子だって台所でジャムの瓶に指を突っ込んで舐めるような娘だし、

そもそも、彼女の言動は相手に響かない、そんな存在でした。

が、ついに、二枚目(高良健吾さん)の弁護士、青木幸一郎に出会います。

で、めでたく結婚が決まりましたが、

なんと!青木家は榛原家よりも上の階層の家柄だったのでした。

 

実は私、子供の頃はちょっとボンボンな育ち方をしておりまして、

実家では祖父母のことを「おじいちゃま、おばあちゃま」と呼んでおりました。

といっても、庶民だったのですよ。そして、今やすっかり労働者階級。

正直、榛原家の雰囲気にすら居心地の悪さを感じていたのに、

青木家の醸し出す上流階級の空気は・・・、もう吐きそうでした(笑)。

それが本作の大事なところでして、別世界だということです。

ちょっと昭和文学の匂いがする、でも、今でもある世界なんでしょうね。

 

さて、もう一人の女性は、富山県生まれの時岡美紀。

田舎で猛勉強して、慶応に大学から入りました。

そう、そこで幼稚舎から上がってきた階層との違いを知るんですね。

福沢先生、人の上に人がいる世界になっておりますですよ!

で、その上の世界、エリート組の中に青木幸一郎がいたのです。

教室で見ず知らずの美紀のノートを借りようとする幸一郎。

コピーを取るなら、すぐに取って彼女に返すのが筋だと思うのですが、

借りたまま「今度返す」と言って、そのまま行ってしまいました。

私、この時、彼はこういう奴(どういう奴?)なんだろうなと感じました。

 

美紀は実家の事情で学費が払えなくなり、夜のバイトを始めますが、

結局は大学を辞めてしまい、お店で幸一郎と再会します。

はっきり描かれているようないないような二人の関係ですが、

とにかく、二人の関係は幸一郎が華子と婚約しても続いていました。

そこから、華子の親友でバイオリニストの相良逸子を介して、

美紀と華子が顔を合わせることになるのですが、修羅場にはなりません。

 

逸子は本作のテーマを語るような役目を担っておりまして、

彼女は「女性を分断して闘争を生み出す必要はない」と訴えました。

「東京は階層社会である」と華子に持論を述べたのも逸子です。

また、「結婚してもいつ別れても平気なようでありたい」とも語ります。

この意見には私も共感し、美紀も「良いですね~」と納得していました。

そりゃそうです。逸子はフリーの演奏家、美紀も既に自立している、

そして、私も男ですが似たような立場で生きてますから。

 

山内マリコさん原作、岨手由貴子監督、女性が主人公ですから、

女性の生き方として描かれているのは当然ですが、

ちょっと男に対してのかたくなな攻撃性を感じるのは確かです。

ただ、そこはスルーして、もう少し広い視野で本作を鑑賞すると、

男も女も何かに依存せず、自立することの重要性が突き刺さってきます。

自立というのは、ただ働いて自分の生活費を稼ぐということではなく、

家柄に、結婚に、組織に、社会通念に縛られて生きることのストレスから、

もっと自分を解放してあげればいいんじゃないかということです。

 

これ、口で言うのは簡単ですが、行動するのは難しいんですよね。

逆に言うと、そういったものに依存していた方が生きやすい。

そう考えている人も少なくない現実があります。

 

美紀は富山県魚津市の出身でして、魚津でロケもありました。

別に魚津じゃなくてもいいんですが、山内さん原作だから富山県なんです。

美紀のお父さんが、自分が仕事しなくなって美紀は大学を辞めたのに、

「女のくせに料理ぐらいしろ」って何の疑問もなく言い放つんです。

同窓会で帰りが遅くなると言う美紀に、

「正月はタクシーも忙しいから、母さんに迎えに来てもらえ」も笑いました。

決して自分が迎えに行くとは言わないんだな、この親父は。

同窓会に行ったら、いい若い男どもが酔って、つるんで、品なくはしゃいでる。

妻子持ちの同級生が美紀を口説きにきて、それを面白いと勘違いしている。

 

これがもの凄くリアルでして、富山以外でも、どこの地方でもこうですか?

正直、僕もこういう人たちが凄く苦手なんです。

全く何も話さずに斜に構えてる人も苦手ですが、

酒の勢いを借りて、集団になって品のないバカ騒ぎをするのも大嫌い。

私もちょっと難しい奴ってことなんですかね。

でも、空気を読んで一緒に騒ぎたくないなと、いつも思っていました。

なので、誤解を恐れずに書きますが、

富山県を全く良い街に描いていない世界観は心地良かったです。

 

ただ、ならば東京が良い街なのかというとそうでもない。

東京の奴らは東京の奴らで、田舎者から搾取している・・・と。確かに。

だから、もう、そいつらが作った常識とか既成概念とか、こうあるべきとか、

しつこいようですが、そういうものから解放されたら良いってことなんです。

美紀は自分を縛り付けるものが少なかった分、そこに向かって行けました。

華子は今までのお嬢様生活では訪れることはなかった

美紀の狭い部屋の一つ一つが彼女の物であることに感銘を受けます。

そして、同じ東京タワーでも、観る場所によって景色が違うことを知るのです。

 

華子は離婚しました。離婚というより離縁と表現したい。

美紀は「一日の終わりに、その日の出来事を話せる相手がいれば良い」

と言っていましたが、幸一郎は悪い人じゃないけど、

華子にとってのそういう人ではなかったということだったんですね。

青木家のことを考えると相当の勇気がいる決断ですが、

そこは意外とあっさり、ビンタ一つで描かれておりました。

そして、華子は逸子のマネージャーになりました。

私はずっと魅力を感じなかった華子でしたが、最後の最後に変わってました。

 

社会の居心地の悪さを描き、それを感じさせながら、

観終わった時には少し気持ちを軽くしてくれる。そんな映画でした。

それと、時岡美紀役の水原希子さんの、

東京から帰省してきた県人がぽろっと口にする感じの富山弁が、

ずっと富山に住んでいるはずの役の人たちよりも自然に聞こえました。