映画『ヤクザと家族 The Family』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『ヤクザと家族 The Family』

『ヤクザと家族 The Family』

(上映中~:TOHOシネマズファボーレ富山、J-MAXシアターとやま、TOHOシネマズ高岡)

公式サイト:https://yakuzatokazoku.com/

 

新聞記者の藤井道人監督の最新作です。

3つの時代の中で徐々に排除されていくヤクザたちの姿が描かれています。

結論から申し上げますと、136分の長さを感じない面白さでした。

すみません、たいして面白くもない私の感想文も例によって長いです(^_^;)

 

1999年、証券マンだった父親を覚せい剤で失った19歳の山本賢治は、

偶然にも柴咲組組長・柴崎博がチンピラに襲撃されたところを救いました。

その後、柴咲組と対立しながらも今は手打ち状態にある侠葉会から、

彼らのしのぎである覚せい剤を奪って捨てたことで殺される寸前のところを、

今度は柴崎に救われ、ついに、賢治は柴崎と父子の契りを結びます。

ヤンキーで悪さしながらもヤクザを憎み、

ヤクザなんかにはならねえと言っていた賢治がヤクザになりました。

 

賢治役は綾野剛さん。柴崎組長は舘ひろしさん。

あ~舘さん、昔気質のヤクザ、男が惚れる漢って感じです。

凄みはあるけど、賢治を「賢坊」と呼ぶ目は慈愛に満ちています。

しかも、柴咲組はクスリをしのぎにしないって、ドン・コルレオーネか!?

とにかく、ここまでは序章です。よくある「やくざ映画」って感じです。

上手い演出だと思うのは、あんまりゴチャゴチャ説明してないんだけど、

まぁこういうことなんだろうな・・・という状況がすぅ~と入っていくところです。

 

時代は2005年となり、景気もそれなりに回復、

賢治は昔からの子分2人を引き連れ、組の中でのし上がっていました。

そんな中、賢治は自分たちのシマの店のホステス由香と出会います。

オラオラで迫る賢治を上手くいなしてる由香。尾野真千子さんです。

この時は学生ということで、さすがにそれは無理がありますが、

ここでの2人のやり取りは少しコミカルで賢治の可愛い一面をを感じますし、

初めて賢治を受け入れるシーンでの彼女は、やっぱりイイ女なのですよ。

 

しかし、因縁の相手・侠葉会との争いは激化する一方です。

一連の流れの中で、柴崎と侠葉会会長の加藤との話し合いの席があり、

そこで加藤は「柴咲組は古い。俺たちは今どきのヤクザ」とか言ってました。

実は加藤は県警の大迫刑事に賄賂を渡していました。

それが“今どき”なのかどうなのかは分かりませんが、

まぁ、ビジネス的には侠葉会の方が上手くやっていたということです。

 

2005年の一連の流れはテンポよく、しかもインパクト強めに描かれていて、

ついに、柴咲組若頭の中村が、侠葉会の若頭を刺し殺します。

本当は賢治がそれをしたかったが、こうなった以上、することは一つ。

中村の身代わりで罪をかぶること。おぉ、義理と人情の世界ですなぁ。

中村役は北村有起哉さん。この人は本当に上手いですね。

 

2019年、賢治は懲役14年を勤めあげました。

出所して目の当たりにした世界は、14年前とはがらりと変わっていました。

そうか!1999年と2005年で描かれていた世界は壮大な「まくら」だったんだ!

いや、あの時代も見応えありましたが、本作の本質はここからです。

 

暴対法で柴咲組は衰退の一途をたどり、解散一歩手前の状況でした。

しかし、解散しなかったのは、ヤクザしか出来ない子分たちがいたから。

柴崎組長は癌に侵され余命いくばくもありませんが、

最後の最後まで義理人情の生き方を捨てなかったということです。

足を洗った者も、ヤクザとして残っている者も、柴崎にとって「家族」です。

加藤に言わせれば、それが「古い」ということなんでしょうが、

でも、こういう生き方に全く惹かれないのかといえば嘘になります。

 

子分だった細野も堅気になって、今は妻子がいました。

ヤクザの「家族」ではなく、堅気としての「家族」を手に入れたのでした。

細野は元ヤクザが堅気になることの難しさをいろいろ語ります。

そして、飯代を賢治に奢られることを頑なに拒否しました。

この細野を市原隼人さんが演じてまして、

最初は意外に小物の役だなぁ・・・なんて思っていたのですが、

ここからラストにかけて、市原さんが起用されていた理由が分かりました。

 

いやいや、綾野剛さんの本領もここから発揮されているというか、

もう1999年のヤンキーからのふり幅が凄いことになっていました。

ヤクザになってしまったのは自己責任ではあるけれど、

出所してからの居場所はなく、生気みたいなものがなくなってしまいました。

こういう役が妙にハマるというか上手いんですよねぇ。

 

衰退した柴咲組のしのぎは少なく、中村は裏でクスリを売っていました。

オヤジの流儀に反する、義理人情はどこへ行ったと責める賢治ですが、

中村は中村で背に腹は代えられないギリギリの状況だったのです。

なんのために俺は身代わりで服役したのかというやるせなさはあるものの、

それ以上は中村を責められず、もう組で出来ることも自分にはなく、

柴崎のすすめもあって、賢治は堅気になりました。

 

そして、由香を探し出し、彼女から衝撃の真実を知らされ、

一緒に暮らしてしばらくは幸せを味わうことができたものの、

素性がすぐに世間に暴かれてしまいました。ネット社会の恐ろしさです。

今だってヤクザは怖いと思うのですが、一般人も怖いんですよね。

 

それまでの穏やかな生活を奪われてしまった由香は、

「なぜ帰ってきたのか、なぜヤクザを愛してしまったのか」と嘆きます。

ヤクザを愛してしまった堅気の人も、ヤクザから堅気になろうとした人も、

とことんまで糾弾して追い詰めて、普通の暮らしをさせないようにする社会。

「自業自得である」と一言で片づけられるものなのか。これが正義なのか。

答は分からないし、意見もいろいろでしょうが、今はこういう社会なのです。

 

そんな中、例の県警の刑事と裏で繋がり続け、

いまだに上手くやってる侠葉会のようなヤクザ組織もある。

そして、かつて柴咲組のシマだった地域では、

賢治たちが昔から通っていた焼肉店の息子、翼が青年になり、

ヤクザとは違う形で、ぼったくりバーのしのぎでのし上がっていました。

翼は賢治を尊敬していて、今の自分を誇らしげに語ります。

そんな翼を止める資格も力もないことを悟っている賢治がまた悲しい。

 

翼は「自分たちはヤクザではない」と言いながら似たようなことをしています。

私のような“古い”感覚の持ち主には、その行為の善悪ではなく、

翼のような考え方ややり方に「卑怯」を感じてしまいました。

彼らは加藤の自宅に乗り込み「あんたたちはもう古い」と、

かつて加藤が柴崎に言い放ったのと同じ言葉をぶつけます。

しかし、きっと翼たちも最後は同じ道を辿るのではないでしょうか。

 

結局、賢治は堅気になることはできませんでした。

最後の最後までヤクザとして生きることしかできませんでした。

昔のやくざ映画で描かれていたような格好良さは微塵もない、

今のヤクザはこうなるしかないのかという破滅的な終了感でした。

この映画を観ていてすぐに思い出したのが、

ヤクザと憲法というドキュメンタリー映画でした。

本作で展開されていた世界の一部が現実として描かれています。

 

ヤクザは肯定できません。肯定できませんが、

罪を償った彼らが堅気になる道まで閉ざすのはどうなんだろうと思います。

しかも、その道を閉ざしているのは法や警察だけではなく、

我々一般人が作っている社会であるという怖さみたいなものも感じます。

そして、それで本当に世の中からヤクザが一掃されて、

それに似た新しいビジネスもなくなるのなら良いのかもしれませんが、

やはりそうはならないという、社会全体の残念な構図も残っている現実。

 

ならどうすれば・・・という答えも簡単には出ないんですけどね。

なんだかんだで、ずっと堅気で生きてる人が一番強いような気もします。