9月15日(日曜)晴れ
「氣志團万博」の日。
今日までいろいろあったのだろう、もちろん復旧はまだまだだし、氣志團の皆も思うところは山ほどあるはず。でも、「やる。」と決めたその心意気をこちらは受け止める。
朝7時半に会場入りし、程なくリハへ。
今日「おもてなし」というと軽く聞こえるのはどうしたものか。都合12時間以上万博の現場にいたが、徹底したサービス精神とまたそのことが観客にまで波及していってることが素晴らしいと思えた。皆が寛容になるフェス。私もやさしくなった。その良性の風は間接的にだが、必ずや人に届くはず。だって「伝えたい。」と思ったもの。
本番。今回、開会宣言の大役を仰せつかっている私。
WOWOWインタビューで「翔やんがオリンピックをやればいい。」と言うと、作家のOさんが「そのコメント、マキタさんで二人目です。」と。誰だと聞けば「怒髪天の増子さんです。」とのこと。なるほどと腑に落ちる。
ミッションを終え、出演者の方々と交流。
見学に来ていた、GLAYのTAKURO氏、TERU氏夫妻、金爆キリショー。TAKURO氏は我が「ザ・カセットテープ・ミュージック」を見ているらしい。TERU氏とはミックスボイスの話が出来た。
バンド「大島渚」の面々とも邂逅。
みうらさん、人間椅子ワジさん、安斎肇さん、しーたかさん、山田五郎さん。喜国雅彦さんは初めてお会いしたが、私の精神形成に大いに影響を与えた人たちである。
「大島渚」のみキャパで見学する。
その後「新しい地図」の面々とも会う。
それにしても「大島渚」からの「新しい地図」は、この場がいかに捻れた時空かの証明。しかし綾小路翔の脳内部屋には並列に存在しているカルチャー。これこそロードサイド野郎のサブカルチャーとの接し方であり、私のような田舎者には心から信頼出来るラインナップなのだった。
個人的に田原俊彦氏との面会は堪らないものがあった。
「山梨出身です。」
「山梨のどこだ?」
「山梨市です。」
「おう、俺は昨日寝たよ。」
「え?山梨市のどこ(ホテル)でですか?」
「駅で寝たよ。」
ここに一字一句の誤りもない。さらに…
「なんか聞いてるよ、いろいろ言ってくれてるらしいな…マキタスポーツ、知ってるよ。」と。トシちゃんがいかに素晴らしいかは、たしかにラジオ、テレビで語っては来ている。やはりご本人にまで届いていたようだ。恐縮しつつ、とても誇らしい気持ち。
「じゃあ俺は帰る!」と踵をターン、颯爽と帰っていった。
そのスター然とした振る舞いに圧倒されたが、驚いたのは、5メートルほど進んだところで突如「マキタスポーツ!」と背中向けに叫んだことである。その言い方はまるで「榎本!」のそれだ。堪らなかった。
最後の氣志團のアクト。
マキシマム・ザ・ホルモンのナオさんが泣いてた。今日(昨日)までのこと、彼らのしてきたことを思うと熱いものがこみ上げる。
掛け値、お世辞、おべんちゃら無く、素晴らしいイベントであった。鋭意進行中の山梨フェスの大いに参考にもなった。
氣志團よ、ありがとう。こういう気持ちを人に伝えていきます。