結婚を機に本籍地は東京に。八年前にお袋が亡くなり、二年前に親父が亡くなって、去年には、実家のマキタスポーツ店を解体、権利も譲渡しました。徐々に山梨から姿を消してる感じですが、生まれ故郷は山梨だし、実はたった18年しか住んでなかったけど、精神形成の土台は山梨で作りました。

若い頃は、山梨出身がイヤで仕方なかった。マイナーで、誇れる物が果物ぐらいしか無くて、って勝手に思い込んでて、あと、方言もかっこ悪いって思ってたし。そもそも、田舎の人間関係の狭さ、因習慣習、伝統、それと最大のコンプレックスだったのは、山梨には「芸能」が無かったということ。厳密には郷土芸能みたいなものはあっても、他の地方都市が持ってる芸能っていう“無駄”に対する寛容さが無いのがイヤだったんです。

例えば「俺、芸能人になる!」なんて口が裂けても言えないムード。「そんなもん無理に決まってるらぁ!」(方言)で一蹴されそうな感じ。あるいは、地元にはライブハウスの類いも無く、ご当地タレントも育てる気配もありませんでした。他にもいろいろあるんですが、この文化不毛感がたまらなくイヤだったんです。

でも、ある時思いました。それを嫌がるのではなくて、「それも山梨!」と考えようと。そこで生まれ育ったのはたしかだし、そういう一見ネガティヴなところも含んで愛そうと。そしたら、どうでしょう。途端に山梨がチャーミングに見えてきだしたんです。なんて言うんだろう、あるがままを受け入る感じっていうんでしょうか。アナ雪じゃないですけど、問題解決しなくてもいいんです。要するに「世界は多様である」と認識したら、つまりエルザの能力もひとつの個性ですから、戦わず、許すことで両方世界に存在出来ると。

きっと、山梨って頑固者のかわいらしい天然ボケなんです。で、そこで育った僕も天然ボケなんですよ。そういう自分の天然性を認めたいんです。

僕ももう45歳、歳をとりました。そうすると、自分の保守的な部分というのが顕在化してくる。これ、僕“筋力の弱まり”が原因なんじゃないかと思ってるんです。筋力があると“ツッパる”ことができちゃうんです。ところが、そういう無理がきかなくなった。

中二の長女の価値観は、僕には理解できません。で、僕は気がつくと「けしからん!」と説教をする。そのぐらいの歳の子たちのやっていることを本当に理解することもせず、自分の価値観のみで判断する。でも、それこそ、そいつらと一緒に遊んだりしないと理由がわからないと思うんです。でも、それが体力がないから出来ない。というより、他にやることがあるから面倒くさいんです。

「面倒くさい」

これです。結局、偉そうに説教してても面倒くさいってのが本音なんです。僕は勝手気ままに生きてきたくせに、自分の知らない新しいことが起こると、元々躾けられていた超保守的な部分を振りかざしたくなる。これは結局体力が無くなってきたからだと。

新しいことをやるのはやせ我慢も必要です。ファッションのためにヘソ出したりするのも、実際には冷えとの戦いなわけです。こちらは年寄りなんで、「冷えは万病の元!」なんてすぐ言っちゃう。

こんな僕は娘に天然扱いされています。笑われてる。だって、説教してる時に噛んだりするから。
反抗期だし、難しい時期だけど、でも、彼女は僕の愛情がわかってるから、最悪の状態にはなりません。

娘の立場にも理解を示す。僕だけの価値観で、絶対服従を強いたら拗れるだけです。だから、「わからないけど、わかる」という“解決しない”ことで事態を前進させています。世間がわかりやすくきれいに解決へと向かうことは僕は危険だと思っています。それが歳を取った僕の、いや、年長者の知恵だと思うようにしているんです。

そんな気分になれた時に、初めて生まれ故郷の山梨を好きになれました。

地元の番組にゲストとして呼んでもらえらようになって、本当によかった。

全国の皆さん、これからも山梨をよろしくお願い申し上げます。
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レミオロメンの藤巻くん、北川えりさんと。