二宮尊徳思想研究会の様子について、地元の国政報告会でもご質問をいただくことがありました。生誕の地、小田原選出の議員として、議連の事務局長をあずかっています。金次郎時代の物語だけでなく、尊徳翁の農村改革、経済財政金融政策などにも光を当てるようにしています。
小田原領は山あり海ありで自然に恵まれている、戦国時代、北条家はそのような利点に着目して小田原に居城を構えた、とも、言われています。土地が豊かであることは今も同じですが、江戸時代はそれが裏目に出て倹約を忘れ贅沢な生活をしてしまい、小田原藩は徐々に困窮していきました。天保7年、1836年の夏、冷気や長雨、暴風が続いて穀物が実らずついに小田原は大飢饉に陥り、二宮尊徳は君命を受けて、蔵を開き救済の用に充てました。
領民死亡の危機に瀕している中、議論が続き結論が出ない。評議が決するまで断食、との尊徳の言葉によって、やっと飢餓の状態にあった村々を救助することができました。
民の側に立ち、危機を乗り越えていった様子が伝わるエピソードです。恵まれた環境に安穏とすることなく、農地を耕していく事も尊徳翁の教えだと受け止めています。
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私の国会の事務所でも、二宮尊徳翁がお出迎えしています。