今日は「北方領土の日」子供の時、早くお風呂から出たい私に父が「『北方四島』が言えるまでは出ちゃいけない」と言っていた事を良く覚えています。「えとろふ、しこたん、くなしり、はぼまい」と暗唱したものです。一般的には「1から10まで数えるんだぞ」という所が我が家では違っていたわけですが、その分ここまで長引いてしまった事が身に沁みるのです。
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大会では元島民の方からお話をうかがいました。択捉島で10歳まで暮らしていた女性です。お父様は郵便局に務めていたこと、村芝居で「曽我兄弟」が演じられたこと、学校の体育祭が楽しかったことなどを話して下さいました。水が豊かで綺麗な花が咲く島の様子やプランクトンに引き寄せられて魚が集まってきては工場でサケの缶詰を作り輸出していたことなど、北方四島での生活が目に浮かびました。
穏やかな暮らしがソ連軍の上陸、侵攻、占拠、占領によって崩されてしまった悲しみ。
命からがら脱島するも家族を亡くされた方もいました。
択捉島からは地理的に脱島が難しく、3年間ロシア人の管理で共生させられることにもなりました。その後は本土に強制送還。その時、島民の皆さんは大事な物は軒先に穴を掘って埋めてきたのです。
必ず島に戻る、と決めていたから。
元島民の方々の平均年齢は今や70代後半となり、祖父母に元島民を持つ3世が活動に参加されていますが、崖をよじ登ってでも父、母、子供の墓参をされる元島民の方達の気持ちは強いのです。
根室から北方4島を見ながら、帰る準備はできている、という元島民の皆さん。北方四島は、祖先が血と涙と汗を流して開拓したふるさとなのだ、ということが強く心に刻まれた大会でした。

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