キセキのリンゴの物語 | マキオカのネイチャーな日々

マキオカのネイチャーな日々

山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

9月に入り不安定なお天氣が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
わたしはマキオカの仕事が一段落し、やっと日常生活を取り戻しつつあります。

今日は久しぶりに散歩とラジオ体操を復活させました。
・・って、ほんと、再びばあさん臭さ全開のわたし。

それはともかく。

今日はマキオカの「キセキのリンゴ」について書きたいと思います。

マキオカネイチャークラブにはサイトが2つしかありません。
このサイトとサイトの間に、鎌倉から運んだ南天や椿の木に交ざって一本の林檎の木が植えられています。

今から20年ほど前、キャンプ場を作るべく、今は亡き夫と休みの度にトラックを借り砂利を百杯運びました。
のっぺらぼうなサイトの状態から、「皆さんに喜んで頂ける夢のキャンプ場にする!」という意気込みで樅ノ木や白樺を植えました。

http://makioka77.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

そんな時、リンゴ畑を持っていた近所の農家の方が「リンゴの木を処分するから欲しかったら持っていったらどうでえ。」とお声掛けをして下さったのです。

渡りに船とばかりに3本戴いたリンゴの木のうち、2本はセンターハウスの傍に植え、一本はサイトとサイトの間の砂利に植えました。

植物を育てるには全くの門外漢のわたし達。
やることが盛りだくさんの毎日に、せっかく戴いたのに手を掛けることも肥料をやることもせず、いつしか2本のリンゴの木は枯れてしまいました。

ところが一番過酷な環境にあると思われる砂利のサイトに植えられたリンゴの木は細々と生き残り、四月になると花を咲かせ、それでも毎年2,3個の実を付けてお客様の目を楽しませてくれました。

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絶対に不可能といわれた無農薬、無施肥に成功し映画にもなった木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」は有名です。
リンゴの木は厄介な病害虫が多く、家庭では栽培しにくい果樹といわれているらしい。

が。
無農薬、無施肥どころか、砂利に植えられて放置された挙句、真下にカマドを作られ、しょっちゅうすぐ近くで焚火をされるという超過酷な状況で、なんと今年は20個近くの実を付けてくれました。

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見た目は小ぶりで、傷もありもちろん商品としてはまったくの無価値。

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でも齧ってみると、意外にも美味しい。

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これを「キセキのリンゴ」と言わずして何がキセキのリンゴか!

不憫というか、健気というか。
リンゴ界では(あるのか?そんなモノ)涙なしには語れないというか。

いや、自分でリンゴに酷いことをしておいてなんですが。

そう、例えばろくでなしの親に、実に親孝行で立派な子どもが育つとか。
怠け者のオンナが、人も羨むようなマメで働き者の夫に恵まれたりだとか。

そんなことを彷彿とさせますな。

いやいや、そんなことよりも。
かつて日本は、こうした農作物で溢れていたのではないか。

見た目は悪くたって美味しければ構わない。
少しくらいの傷や色の悪さはちょっと値段を安くしてもらい、作る側も丹精した商品が無駄にならず、お互いに満足していた。

それがいつしか「消費者様」とおだてられ、勘違いさせられたわたし達は、見た目優先の農薬まみれで値段の高い商品を買うようになってしまった。

嗚呼、日本よ、どこへ行く。

・・それはそうと。
来年、このリンゴの木、大丈夫なんだろうか?

年老いてから,最期の一花を咲かせること「老いの入舞」というらしい。
「入舞」というのは、舞楽などでいったん舞いが終わって舞い手が退場する前に、もう一度舞台に戻って、名残りを惜しむかのようにひと舞い舞って舞い収めることをいうのだそう。

振り絞るように生き切って、20個の実を成らせて来年枯れちゃったら、自分の人生を見るようでとっても悲しい。

・・ま、それもよし。
生き切って残せるものがあれば人生めっけもの。

我が家のキセキのリンゴの木を眺めながら、これから楽しく自分の入舞を舞っていこうと心に誓うわたしなのでした。

つづく