そんなわけでバタバタと行ってきました。
クマモトからのヒロシマ。
どーでもいい情報として、その前やら後やらを付け加えますと、サバからのクマモトそしてヒロシマ、来週末には尾道からのその二週間後に今度は山形。
ええ、まじで仕事どこいったw
今回のヒロシマは本当に急に決まったことでした。
いえね。
その一週間前の日曜日に、親戚のおばさんが実家を訪れ、広島の家を処分することになったと報告を受けましてね。
そこは、父の生家で母が幼少のころから遊びにいっていたところでもあり、そして我々姉妹も夏休みになると、毎年父母に連れられて一週間ばかりそこで過ごしていた、いわゆる「父の田舎」という場所で、
そんな我々家族にとっては想い出深い家を取り壊す、という。
それを聞いて家族全員、なんだかそわそわした気持ちになってしまいましてね。
わたし自身、できるなら最後に一目そこを見たかったし、姉もおそらく同じ気持ち。そしてもうそれを強い言葉で発することはできないまでも、いつもヒロシマに行きたがっていた母がなによりさみしいだろうと、それだけは姉妹でわかっていたので、
おかやん、連れてく?
え?連れてける?
いや、連れていこうよ
きっと連れてける
と、その翌日には姉と二人で、最後のヒロシマ旅行を決心。
そうして日程を組んでいくと、
暑くなったら体力的にムリだね
じゃあ10月くらいに涼しくなってから?
いや、いつ(家が)解体されるかわからないよ?
じゃあ今月?ああ、その週は仕事が…
などとやっている間に、結局は「来週しかないじゃん!」ということになり、話が出てから一週間後の平日に決行することとなりました。(だから仕事は)
もうそっからはバタバタ。
施設さんに外泊許可を取り、車いすをお借りしそれを使う練習をして、新幹線の車いす座席と便のいいホテルを予約して、新幹線以外の全ての行程の介護タクシーを手配して、もう仕事している場合じゃねー!←
そんな弾丸の二日間。
ほぼ全てを移動時間と体力温存の休憩に費やし、田舎に滞在できたのはわずか1時間ほどでしたが。
いま、こころの底から思います。
行ってよかった。
連れてけてよかった。
もうそれ以外の言葉はありません。
本当にね、自己満足なんだとは思います。
これだけおかやんを疲れさせて、
狭いホテルで不自由をさせて、
「どこいくのー?」「なにしにいくのー?」と何度も不安にさせて(大げさでなく100回は聞かれたw)
そうして二日間の引きずり回しの刑の末、帰りの新幹線で「〇ちゃんに会えてよかったね」と言っても「あってないわよ」とこんな顔←され。
ぜんぶすっぽりと抜けてしまっている、かもしれない。
それでも、いいの。
その瞬間は、心の底から嬉しそうだったから。
そんなおかやんの笑顔を見られたから。
ありがとう、おかやん。一緒に旅行にいってくれて。
またヒロシマに一緒に行けて、わたしたち家族は幸せだった。
これが最後の親孝行、最後の旅行と思っていたけど、
むしろわたしたちがそれを許さない。
おかやんの願いを叶えたつもりだったけど
わたしたちの願いがそのぶん増えたから。
わたしたちを幸せにしてくれるのは、おかやんの笑顔。
だからもう少し、付き合ってほしいのだ。
そんなワガママ鬼娘たちとともに
まだまだたくさんお出かけしよう。