たぶん、あしたのがきっついと思うんですよ。
ええ、経年劣化の筋肉痛。そう、今朝は意外と動けてですね。それでも無理禁で短めでぽくぽく。
なんだよ~、いろいろ脅かしやがって。あんなんはしったらしばらくは廃人、介助つけなきゃトイレもいけんぞと、(野辺山のアフター。あん時は要介護者)
言われたことを思い出し、鼻で笑いつつはしりだした今日。
そうして事務所で仕事してたら
どんどん固まっていく両足。←イマココ
翌日に出るほど若くはないとしみじみ悟った初老の冬。(しってた)
さて、昨日は実にローカルな大会速報にいいねをありがとうございます。
昨日もぶつくさいっていたとおり(いつもだけど)、アップとダウンしかないこの「修行走」。誤解を恐れずにいうなれば、単にふたつほどエゲツナイ山をかけってのぼっただけというシンプルなコースです。
これな
(みっつに見えるのはわたしだけでしょうか)
上りはひたすら上りしかないし
下りはうんざりするほど下りしかないし
どっちにしても「いつまでつづくんだ!!」と実際ひとりで何度つぶやいたことか。そしてその都度、周りの知らん人たちも「まったくだ」と激しく同意。苦しいながらもあの一体感は、なぞに心地よかったりしてました笑
今回、マラソンシーズン真っ盛りの中、この修行走を選んだことは、じっさいは周りも本人も「なにしてんだ」と多々おもい、
殊、わたし自身この数年トレイルレースなんざ、まったく興味なく(富士登山競走は別ね。あれはトレイルでなく「登山」なの)マラソン一本で過ごしており、
そんな中、いよいよ別大リーチという大事な時期になんたる愚行。防府でも湘南でも松江城でもなく、各地行われているロードレースでもなく。ええ、そりゃあ当然おとーさんにこっびどく叱られる案件です。
まあ、こればっかりは何度もいうように(しつこい)、数年前からの想いもあり、それを果たすべく歳になったいうことで、自身も納得しております。
そんな修行走に向かう直前に、こんな言葉を見つけました。
「胸が鳴ったら、すすめの合図」
挑戦しない理由は、いくらでもおもいつく。やらない後悔よりも、やる後悔のほうが、ダメージが大きくないか?とも思う。
だけど、もし。その場所に立つ自分を想像して、少しでも胸が高鳴ったのなら。
すすんでみよう。あれこれ考えすぎないで。
ドキドキっていう音は、どんな言葉よりも信じられる一番の本音だから。
もうね、その言葉がそのまんま。
それがわたしの修行走。
だって胸が高まってしまったのだから。
ドキドキという音が聞こえたから。
これはもうなにがどうしても、すすむしかないとおもったんだよね。
ぶつくさ言いながらも、出走したことそれを決めたこと、やっぱり一ミリも後悔してない。むしろ相変わらず甘い思い出に。
そして、来年どーしてもひさよさんが行きたいと言ったら←また行ってもいいかなと、怖いことを考えているわたしは何かの病でせうかw
そんなわたしの修行走2023。
レースレポつづきます(需要の有無は措く)
お土産たくさん。ありがとうございました!