今日のNGワードは「坐骨」でした。
いえね、
最近だましだまし走ってきたところ、老化か劣化かその全てなのか←、すげー坐骨が痛くてですね。
けど、口に出したら負けのよーな気がして(だれに)、へっちゃらだもん!と走り出した夜明け前。
下弦の月が神々しく鎮座し
まだ星も瞬いている午前5時前。
これを朝練というのであれば、いったい夜の終わりはいつなんでしょう
そんなわけで本日もいつものオトナの部活動。
夜でも朝でも中止はないよ!
涼しくなったらの魔法を信じ、夏もヒィコラ走ってきたわたし。
そろそろ給水もいらん季節になり、ノンストップでのノルマは10周(16.5キロ)
やめるには上等の言い訳たる「坐骨」も7周めに入ったところでブラックボックスへ。
それは単なる「事実」と消化し、周回遅れでソロコンプ(もうね、この亀足だと途中でペーサーいなくなるの)
うーむ。やはり何度はしっても
はしっても
はしっても
はしっても
キロ5の壁が厚いんだなあ
全力壮年
昨年の今時期は…とか、一昨年のあのときは…とか、トオイメをするのももう飽きたので←
「いまのじぶん」で、「いま」できることを。
しつこくしぶとくつづけていれば、
いいこと、あるかなあ。
今日は先日の新潟以来初めて、みずコーチとお会いしました。
まず伝えたかったこと。
「なにも言わないでくれてありがとうございます」
これね、
先日のキング@新潟。そのレース直後から、みずさんキングになにも連絡してないんですよ。
LINEひとつ
メッセージのひとつ
電報のひとつ(はもちろんないとして)
なにも言わずに、ただ本人の報告のみを待ってくれていたという気持ちに、こころが熱くなりまして(わたしがな)
もちろん、レース結果はアップデートで知っていたと思うんです。だから、なんとでも声をかけられたし、言いたいこともあったとおもうんです。
けど、それを抑える気持ちってね、ほんとうにキングを思ってくださってるからできることなんじゃないかなって(過信だったらさーせん!)
ぜんぜん関係ないですが、わたしが司法書士の受験生のとき、一切連絡を絶ってくれてた友人がいましてね(めっちゃ仲良かったけど先に合格されちゃったのだ)。
掛けたい言葉や励ましとか伝えたかったと思うんですが、ずーっと試験までの一年間、一切の連絡を絶って、ひとりでわたしへの心配や不安を抱えてくれていたんです。(ついうっかり誤作動するといけないとアドレス帳からわたしを消す念のいれよう。試験終了時間直後に共通の友人から番号を聞いて即電くれました)
必要であれば連絡してくるだろう、それまで気を遣わせてはいけないと、黙って待っててくれていたんだよね。
「気にしているよ」というメッセージはときにありがたくもあり、支えにもなるけど、それがどんな場面で相手にとって必要かということは、ほんとうに相手を思っていないと使い方を間違ってしまうような。
おそらく、みずさんはそれを十分心得て、なにも言わないことで労ってくれていた。無言でも伝わるその思いやり。まさに信頼し合う師弟像
連絡をもらうと伝えたくなくてもそれに返答せざるをえないし、それを相手に課すことは時に負担にさせてしまう。伝えたかったら本人がその人に発信するはずだから。それまで見守っているのも優しさ。
誰かに何か言ってもらいたいとき、目標タイムで走れたとか納得いく結果だったとか。特にPBなんか出したときなんざ一番に発信するかんね。
そんなことをを学んだ新潟。
別段だれになにか気にかけてもらえるような人間でもないのにさーせん!
これから始まるシーズンを見据え自戒を込めて。
ありがとうございます
キロ3'28で笑ってるw