ほんとうのさいわい | みやみの『住めばmiyako』

みやみの『住めばmiyako』

いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

迷っているとダメですね。

 

今日も走ろうかと思っていながら目が覚めたのが6時すぎ。そっから大雨のお外を見遣りつつひとり鼻ほじりながら脳内会議。

 

10キロだけ軽く走ってくるか。

いや、こういうときこそちょこザップっしょ。

けど、ランウェアに傘さして歩いてくのもなんだし

けど、濡れていったらクーラーで冷えるし

 

と、ぐるぐるしてたら時間が流れ、そのままあっさりやる気も消滅。

 

まあまあそんな日もあるさ、とおもいつつちょっぴり悔やむ朝。

 

やっちまったことは変えられないけど、「それで(休足して)よかった」と思える未来をつくってしまえば、「悔やんだ気持ち」は変えられるから。

 

あしたはまじめに走ろうとおもいます(と今はおもっています)

 

※一応着替えてた様子。五本指ソックスまで履いてた無駄なやる気w

 

 

 

 

 

傘傘傘

 

 

どおでもいいことをつぶやきます。

 

 

デイサービスに通い始めていた母ですが、ここへきてまたイヤイヤ病が発症。7月から毎週二回のところ連続で行けたことがありません。

 

先週はついに連続二回、仮病をつかって休んだので、姉の堪忍袋の緒は切れ、わたしはそれに伴う外部手続きにと、それぞれの感情と現実問題に、すっかり振り回されておりました。

 

この時期、デイを休まれてなにが困るかと言いますと、入浴と給水介助が受けられないこと。この暑い中、不衛生だし、脱水は命に関わるし、それが一番悩ましく。

 

なので、母の意固地な態度に、姉もついにある決断を。

 

「どうしても行きたくないなら、入院だよ!」

 

ここでいう入院は「ショートステイ」のこと。デイに行けないくらい具合がわるいなら、もう「入院させるからね」ということで、母に危機感を持たせようとするところ、

 

不満「え、具合なんか悪くないもん!」

お母さん「じゃあなんで今日、デイに行かなかったの?」

不満「だって具合が悪かったんだもん!」

お母さん「じゃあ、入院して治さないと」

不満「だから、具合なんて悪くないもん!」

 

お母さんにゃー……

 

まったくはなしになりませんww

 

 

ね、おかやん、なんでそんなにデイにいきたくないの?と、あやすように尋ねると、

 

ぐすん「だってあんまり人と関わるの、好きじゃないんだもん」

 

あー、やっぱりね。そんな気はしていた。

案外社交的なひとだと思っていたけど、それは気の合う友人とのはなし。毎回知らん人(いちんちで記憶なくすので毎回全員初対面になるw)と気を遣いながら話すのは、健康なわたしでも気苦労だもの。

 

けどね、

 

ここいたらおかやんの喉が渇いても誰もお水を飲ませられないし、お薬だって飲み忘れるし、今はお風呂もデイでしか入れないの。

 

それに、いちんち、こんなとこで一人で寝ていたら、どんどん頭がボケちゃうよ。いろんなひとと接して話して、刺激を与えないとね。

 

って、

 

前者はともかく、後者の理由は、いったい誰のためのものなんだろう?ボケないでいてほしい、外の世界と繋がってて欲しい、それは本当に本人のためだけなんだろうか。

 

「どうしてみんな、わたしに意地悪いうの」

「ただここで穏やかに過ごしていたいだけなのに」

「そっとしておいてほしいのに」

 

入院だよ!!と語気を荒げる姉に、そう生気なくぽつりとつぶやく母。

 

いや、おかやんのためなんだよ、と言うわたしの言葉も濁る。

 

これがもし自分で後先短い人生であれば、好きなことだけして生きたいよな。ストレスためてやりたくないことやって疲弊していく日々なんて、貴重な残り少ない人生まっぴらだと思うよな。

 

よく、「こどもといっしょ」「こどもだってイヤだなんだと保育園に行きたがらなくても連れてくでしょ」っていう人もいて、

 

もちろんそれは大きな未来のための経験であれば大事なことだとおもうのだけど、むしろ残り短い人生でなんのための経験なのか、いつのための試練なのか、考えるともうよくわからない。

 

もういろんなことを諦めて、おかやんの希望を優先して、またすべてを自宅で行えるよう(入浴介助や他の見守りサービス)手配したほうがいいのかな。少しでも外部と関りをもってほしいと思うのはわたしたち家族のエゴなのかな。

 

自分の生き方を自分で選択できない。

それが老いることなんだろうか。

 

「(おかやんの)ほんとうのさいわい」ってなんだろうと考える。

 

ぜんぜんそのこたえがみつからない。