そうして終わったわたしの富士登山競走。
突然のブログ復活にも関わらず、またしつこくもクソ長いレポにお付き合いいただき、ありがとうございます。
レースが終わって一週間。
変わらず、毎朝走ってはいますが、すっかり目標を見失っていてですね。
ロンモチ、マラソンレースのシーズンインも間近(北海道マラソンなんざ秒読みですね)、自身の緒戦も10月末なので(金沢当たったのだ)、おちおち腑抜けてはいられないのですが、全くやる気が起きなくて。仕舞には「なんのために走ってるんだろう」などとトオイメをすることもしばしば。
ええ、わたしはこの数か月、自分でも笑ってしまうくらい、富士登山競走のために走っていたのです。
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思い返せば先シーズン、マラソンはなかなかにしょっぱい結果でした。
走ったものは(松江、別大、名古屋)はいずれもあっさり3.5を取りこぼし、走れども走れども速くなんねーし(もはや伝統芸)、いろんなところが痛いよーな気もするし(壺買いまくった)、これからどうやって走っていくか(シリアスかファンか)悩む日々がつづきました。
ほら、マラソンってやはり「速くてナンボ」。自分ではそうじゃないよって思っていてもそう装っても、やはり速く走れた方がうれしくて、
周りも、その日その本人がどんだけ今あるレベルから力を出し尽くし、その結果を出したかではなく、目に見える「タイム」で評価するし(例えばヘッポコなわたしが全力でサブ3.5しても同大会でサブ3した女性が周りに祝福されるということ。ええ、単なるひがみですw)
そうなるともう、キリキリのわたしは、これ以上いま以上それ以上に挑み続けるのはシンドイなあと、思ったりしてましてね。
そんな中、富士登山競走を「完走」するというのは、自分にはかなり理想の目標設定でした。
ただ、全力を尽くすだけ。
てっぺんだけを目指すだけ。
もちろん、その中で「タイム」や「入賞」を意識して取り組み、さらなる上を目指している方もいらっしゃいますが、凡人の目標は「完走」ただそれだけ。それがわかりやすく、潔く、こんなわたしでも本気でやれば、それが手に入るのではないかと。(はいんなかったけどw)
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そうして始まった富士登山競走プロジェクト。
山頂コースのエントリから(今年は追加募集も出てましたね)、宿泊場所の確保(ひさよさんありがうございます!)、その後のレースはあえての坂が多いものを選び(野辺山、むかつく)、そして繰り返す試走と峠走。
東でトレミ錬がいいと聞けばちょこざっぷに入会し
西で購入を勧められればすぐにヘルメットを発注し
いちんちじゅう家で富士登山競走YouTubeを流し
(おかげでどの区間が斜度何度かソラで言えるw)
早寝早起き仕事はそこそこ←
おかげで当日のコンディションはばっちり
どうだ!これでよく関門ひっかかっただろー!!(にどめ)
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そんな数か月を過ごしたため、冒頭に戻りますが完全放牧中。夏のキャンペーンが始まる直前に前のめりで入会してしまったちょこざっぷは、もったいないので脱毛しにいきますw(入会数日後に始まった入会金+事務手数料が無料の夏キャンペーン。あたしゃ5000円も損したお涙)
そんなぐたぐたな日々の中、それでも夏のそらにおもうのです。
この数か月はとってもしあわせだったと。
てっぺんを取ることだけ信じて走ったタマリク
汗だくで飛び乗ったちょこざっぷのトレミ
飽きるほど通った馬返し
無駄なセンバル、シュウイチのペース走
そして、レース当日、あの日のわたし。
いっぺんの迷いなく
てっぺんとることだけを信じて
足を竹串でぶすぶすと刺しながら
前へ前へと執念で進み続けた
あんな濃厚な時間は二度とない。
そんな泥臭くかっちょわるい自分が、いまは泣けてくるほどにいとおしい。
走っていなければ、富士登山競走を目指さなければ、人生こんな経験をすることはなかっただろうとおもいます。そんなものに出会えたことが、幸か不幸か。
それでも知ってしまったのだもの。
こんな場所があることを。
こんなものに巻き込んだサワ閣下を恨みつつ
いまは感謝しかありません。
そんなわたしの富士登山競走。「実は」という後日談はおいといて。
個人的備忘録や大会のあれこれ。
もう少しだけつづきます。