みやみ富士登山競走はしったってよ2023その⑥ | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

そうして終わったわたしの富士登山競走。

突然のブログ復活にも関わらず、またしつこくもクソ長いレポにお付き合いいただき、ありがとうございます。

 

レースが終わって一週間。

 

変わらず、毎朝走ってはいますが、すっかり目標を見失っていてですね。

 

ロンモチ、マラソンレースのシーズンインも間近(北海道マラソンなんざ秒読みですね)、自身の緒戦も10月末なので(金沢当たったのだ)、おちおち腑抜けてはいられないのですが、全くやる気が起きなくて。仕舞には「なんのために走ってるんだろう」などとトオイメをすることもしばしば。

 

ええ、わたしはこの数か月、自分でも笑ってしまうくらい、富士登山競走のために走っていたのです。

 

 

◆◆

 

 

思い返せば先シーズン、マラソンはなかなかにしょっぱい結果でした。

 

走ったものは(松江、別大、名古屋)はいずれもあっさり3.5を取りこぼし、走れども走れども速くなんねーし(もはや伝統芸)、いろんなところが痛いよーな気もするし(壺買いまくった)、これからどうやって走っていくか(シリアスかファンか)悩む日々がつづきました。

 

ほら、マラソンってやはり「速くてナンボ」。自分ではそうじゃないよって思っていてもそう装っても、やはり速く走れた方がうれしくて、

 

周りも、その日その本人がどんだけ今あるレベルから力を出し尽くし、その結果を出したかではなく、目に見える「タイム」で評価するし(例えばヘッポコなわたしが全力でサブ3.5しても同大会でサブ3した女性が周りに祝福されるということ。ええ、単なるひがみですw)

 

そうなるともう、キリキリのわたしは、これ以上いま以上それ以上に挑み続けるのはシンドイなあと、思ったりしてましてね。

 

そんな中、富士登山競走を「完走」するというのは、自分にはかなり理想の目標設定でした。

 

ただ、全力を尽くすだけ。

てっぺんだけを目指すだけ。

 

もちろん、その中で「タイム」や「入賞」を意識して取り組み、さらなる上を目指している方もいらっしゃいますが、凡人の目標は「完走」ただそれだけ。それがわかりやすく、潔く、こんなわたしでも本気でやれば、それが手に入るのではないかと。(はいんなかったけどw)

 

◆◆

 

そうして始まった富士登山競走プロジェクト。

 

山頂コースのエントリから(今年は追加募集も出てましたね)、宿泊場所の確保(ひさよさんありがうございます!)、その後のレースはあえての坂が多いものを選び(野辺山、むかつく)、そして繰り返す試走と峠走。

 

東でトレミ錬がいいと聞けばちょこざっぷに入会し

西で購入を勧められればすぐにヘルメットを発注し

 

いちんちじゅう家で富士登山競走YouTubeを流し

(おかげでどの区間が斜度何度かソラで言えるw)

早寝早起き仕事はそこそこ← 

おかげで当日のコンディションはばっちり

 

どうだ!これでよく関門ひっかかっただろー!!(にどめ)

 

◆◆

 

そんな数か月を過ごしたため、冒頭に戻りますが完全放牧中。夏のキャンペーンが始まる直前に前のめりで入会してしまったちょこざっぷは、もったいないので脱毛しにいきますw(入会数日後に始まった入会金+事務手数料が無料の夏キャンペーン。あたしゃ5000円も損したお涙)

 

そんなぐたぐたな日々の中、それでも夏のそらにおもうのです。

 

この数か月はとってもしあわせだったと。

 

てっぺんを取ることだけ信じて走ったタマリク

汗だくで飛び乗ったちょこざっぷのトレミ

飽きるほど通った馬返し

無駄なセンバル、シュウイチのペース走

 

そして、レース当日、あの日のわたし。

 

いっぺんの迷いなく

てっぺんとることだけを信じて

足を竹串でぶすぶすと刺しながら

前へ前へと執念で進み続けた

 

あんな濃厚な時間は二度とない。

そんな泥臭くかっちょわるい自分が、いまは泣けてくるほどにいとおしい。

 

走っていなければ、富士登山競走を目指さなければ、人生こんな経験をすることはなかっただろうとおもいます。そんなものに出会えたことが、幸か不幸か。

 

それでも知ってしまったのだもの。

こんな場所があることを。

こんなものに巻き込んだサワ閣下を恨みつつ

いまは感謝しかありません。

 

 

そんなわたしの富士登山競走。「実は」という後日談はおいといて。

 

個人的備忘録や大会のあれこれ。

もう少しだけつづきます。