木曜日の朝は平和です。
週ニのポイント練(らしきもの)を終わらせ、気ままに走れるご褒美デー。
おりしも木曜はタマリク仲間、あさちゃんの公休日にもあたるため、予定が合えば朝練後サウナへ、仕事が終われば帰宅ランからのサウナへ(サウナばっかw)
そんな本日は、ちょい時間を合わせ、いつもの土トラックで待ち合わせジョグ。
のんきにおしゃべりしていると、まさかの鬼コーチ参上
いやいや、今日はご褒美ジョグの日。
シゴキは勘弁してほしいでゴサル
とそんな願いも通じてか、三人仲良くハンラーにもならずトラックをくるくる。
こんな平和なことも稀にありますので、新入部員お待ちしています。
※ももさん、ザンネン!コーチをご紹介したかった!
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同じく、プライベートでも平和な日々がつづいています。
いや、キングとじゃないですよ。キングとはいつでも一発触発。やるかやられるかの毎日です(デコピンをな)
平和なのは母との日々。殊勝なことに最近は←こんな顔をすることが減ってきました。
頭を悩ませていたいくつかのこと。
例えば、おやつをダメにしてしまう問題は、わたしが実家に行く時間をずらし、夕方前に行くことで解決。その時間であれば、母もいくぶんお腹が空いている頃なので、持っていくお菓子の「美味しい」を共有できることに。(それこそ仕事は?笑)
いつでもセーターを着込んでいることも、エアコンを24時間つけっぱなしにすることでクリア。電気代は援助することも姉としっかり取り決めました。
そして昨日の往診の立ち会い、その後の薬局までの付き添いもそれはそれは穏やかに完了。3分に一度「お財布持ったかしら」「忘れ物はないかしら」と尋ねる母にわたしも「持ってるよ」「大丈夫だよ」と一万回くらい←のんびりと言えるくらいになりました。
大事なことを忘れていたと、ふと気がついたんですよね。よろよろと歩く母の後ろ姿を見て。
母はゆっくりと変化している。もう、元気な頃の、一年前の、一ヶ月前の母とは違う。もうその幻は追いかけてはいけない。
変化した母と寄り添うのであれば、わたしも変化しないといけないんだなと。
もう、あの頃の母はいない。
それを認めることが怖かったんだなぁ。
いつでも快活に笑っていた母だから、誰よりも健康で気丈だったひとだから、何度も同じことを尋ねたり、一人で200m先のコンビニいけなくなったことが、冗談言わないでよとイライラして、まだ大丈夫と思いたかったんだよな。
仕方ないと諦めることは悪だろうか。
こんなふうに一つずつ、受け流していくことは薄情だろうか。
もう母に対してイライラもできないことは、何かを失う気分にもなる。
それでも、一緒に笑っておやつを食べられる、こんな今をしあわせだと、母は思ってくれてるだろうか。