今日も長いいちにちを過ごしています、みやみ@司法書士でございます。
前回ですっかりを味をしめた通勤ランからのサ活動。
タマリク本部の部活が木曜日(今日)にスライドしたと聞きつけて、
朝は4時に起き、5時すぎには出発。
6時半に本部とジョインし1周だけ揉まれ
その後あさちゃんと@かまぶろ湯
(カワケイから1㎞。朝6時からやっている神施設)
サウナと交代浴をそれぞれ3セット決めて、朝ご飯を抱えて10時前に出社。もうこの時点でいちんち終わっていることは措く(でもまたやる←)
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先日、ホームページを観たというお客様が、ご相続の相談でご来所されました。
ひととおりのご説明を終え、少し打ち砕けた雰囲気になったところ、今回の被相続人さま(亡くなった方)のお話になり、お客様がぽつりぽつりと語り始めました。
亡くなられたのはその方の母親。
それはとても急なことだったと。
御年84歳で亡くなられたその方は、それまでとてもお元気で、こどもたちに一切面倒を看てもらうこともなかったところ、急な病気であれよあれよと、判明からわずか二週間ほどで息を引き取られたと。
元気な母しか知らないというお客様が、哀しげにぽつりと口にしたことは、
「母は介護すらさせてくれなかったんですよ」
面倒を看てあげたかった、とおっしゃるお客様。
そういって目頭を押さえる姿に、そうか、そういう最期もあるんだと、わたしは胸がぎゅっとしました。
そして、少し考えました。
ぶつくさ言って実家に通い、鬼みたいな顔して母の世話をして、ガーガー言っているわたしは、ガーガー言えているわたしは、しあわせなのかもしれないと。
「母の介護がしたかった。それがとても悔やまれます」とおっしゃるお客様に、いえいえ、お母様は、ものすごい子ども孝行をされて逝かれたのですから。子どもに大変な想いをさせなかった人生をしあわせに思っていらっしゃいますよ、と
慰めにもならない言葉を掛けつつも、正解なんてないよなあと。
親孝行はし尽くせない。
どんな最期を迎えるとしても
その多少はあれど後悔は残る。
そう考えているわたしは、その覚悟でやっていくしかない。
お客様の語るのを聞き、わたしもうっかりもらい泣き。
そして、被相続人さまと同じ歳の母を想う。
介護したかったという気持ちは、もしかしてないものねだりなのかもしれないけど、なければねだりたいくらいの苦労なのかもしれない。
今日くらいは優しい顔で会いに行ってあげられそうだ、と、母への手土産を考える。