祈る気持ちで目覚めた今朝。
やっぱり全然よくなってねーけど、起きたら走る貧乏性。
一時間ほど足と格闘し、1.5キロほど歩いてタマリクへ。ほぐれたところでポクポク走り出すも、いったくて走れやしねえ!(走ったけど)
2キロ先であさちゃんと遭遇し、そのままあっさりUターン。
そろそろ、この祈りも通じなくなってるか。
それでも、こっそり呟いておくか。
明日も、また走れるといいなあ。
◆◆◆
今日は、昨年お仕事をお手伝いした友人と久々のランチをしました。
不動産業者を営んでいる彼は、かなり理不尽なお客さんに振り回され、都度アドバイスをした結果、ようやくその決着がついたとのことで、報告がてらそのお礼にと、川崎くんだりまで来てくれました。
彼とそのお客さんとは、一発触発、出るとこでましょうか、と法的措置も辞さないトラブルの中、
結局、彼が大幅に譲歩する形で、和解に至ったということで。
「なんで?訴訟したら勝てた事案じゃん」
と、わたしが、当時あんだけ熱くなっていた彼にそれを問うたところ、
「なんかね、同じ土俵にいちゃいけないと思ってね」と。
理不尽な言いがかりに腹を立て、
そっちがそうならこっちにも考えがある、
いちゃもん上等、言ったもん勝ち、
重箱の隅をつつきまくってやるわ!
と、そういうのに、疲れちゃってね、と、笑う彼の顔に悔しさはなく、最後は、「この人はかわいそうな人なんだ」と思うことで相手への憎しみも消えたと。
このまま争って、数十万積ませても、蝕まれるココロもその時間も、もったいなあ、と、思ってねと。
なるほどね。
負けるが勝ちか。
なにを重視するか見極めたんだね。
いつも思うのは、こういうとき、一番大事なのは「気が済む」っていうこと。
どんな結果でも
どんな過程でも
これでいいやって思える瞬間。
不思議なことにそれは案外、突然降ってわいてくるときがあり、その結果は「諦め」とは違う、自分だけの到達点であって、
白でも黒でも関係ない。
目指していたところでじゃなくても。
気が済んだところがその人のゴール。
誰にも理解できなくても。
それを「諦める」ことが「悔しい」と思うなら、きっとまだ気が済んでいないから、そのまま続けていけばいいし、
彼のように、結果はともあれ、後悔がないなら、それでいい。
「気が済んだんだね」
というと、「まあね」と清々しい顔で頷く彼。
勝った負けたではなく、できたかどうかでなく、それを見極めるのはただ自分のココロ。スコンとある日「も、いっか」と思える瞬間てのも、そこまで辿り着いた全力の日々があったからこそ。
このくらいご馳走できるほどには回収したからと、お礼のランチ。
ありがとうございます。
遠慮なくいただきます。
お金じゃない何かを勝ち取った彼の未来に幸あれ。