処暑も過ぎ、朝晩少しずつ走りやすくなってきましたね。(自分比)
それでも早寝早起きは変わらず、今日も日の出とともに朝ラン。
無駄に時間があるもので、今日も川崎のお台場まで足を伸ばし、いつもより少し長めにジョグ。
よく、ついペースが上がっちゃって、とか
うっかりビルドアップになっちゃった、とか
キロ〇オーバーで走るの苦手、とか
わたしには考えらんないフレーズを、ジョグのカテゴリーでよく聞くのですが、どーしてみんなそんなに速く「つい」「うっかり」走れるんだ?(´・ω・)
相変わらずポイント以外は、キロ6分半(オーバー)でしか走れないわたし。
どーでもいいログ

キロ5分台のギアがみつからない、夏の終わりの風物詩(トオイメ)
lisaさん風。ただしテイク8←
さて、最近読了した本のお話し。(ランネタじゃなくてさーせん!)
重松清さんの「その日のまえに」
身近な方の死にあたり、また身内の人間のそう遠くないだろう将来を見据え、ちょっと読んでおこうかな、と「いつか」読もうリストの中でこれを手にしました。
すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、これは死をテーマにした連作短編集。
ただ、それが大げさな悲劇ではなく、特別な事情という書き方でもなく、ただそこにあるもの、必然に迎えるものとして、とても自然に綴られています。
「その日」を知った当人の感情。
「その日」まで関わる人々の心情。
「その日」を迎えた後の家族の日常。
それがまたリアルに、どこにでもありそうな、当人(亡くなる人)だったり家族だったりするものですから、うっかり自分と重ねてしまい、
特に当人なんて作品中、ほぼ40代の男女なんですね。
そう考えると、今自分が生きていることなんて「たまたま」なんじゃないかと思えるくらい。ええ、偶然生かされていると感じるくらい、奇跡なのかなと思ったり。
最近、目が痛いだの、リウマチ先生だの、ポンコツ具合ハンパありませんが、地味に思ったのは、「母より先には死ねねー」と。ちゃんと看取ってやらんとな、とか、思ったわたし、わりといいヤツ笑。
そして、時同じくして、あがったそらちゃんのブログ、「その日に向けて」との題名にどっきり。これな→★
「その日」が新しい命の誕生であるなんて、わたしの「その日」との差に驚愕。(実はコレを言いたかった)
こちとら人生終末期、そろそろ老いじたくだというのに、ナニコノ輝かしい未来は!
若いってすんばらすぃ!
子どもはホント希望だな!
「その日」に向けて着々と準備を進めるそらちゃんのなんと幸せそうなことよ。
まあ、わたしの「その日」は真逆の未来ではあるけれど←、それなりに幸せな感情で迎えられたらいいな。(なにそれ)