もう一度会いたかったな | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

今日もクッソ強風でしたね。

 

土日の暖かさで怠けた体に、この寒の戻りは骨身に染みる。

 

そんでもとりあえず、やることやらんと落ち着かない貧乏性性格なので、

 

週末に備えてシュウイチペース走。

ただ、追い込みすぎると疲労がたまるので(そればっか)

 

12000を#430で。

淡々と刻もうとココロがけながら





 

うーむ。どうも辛抱がたらんww

 

最初は抑え気味で入りつつ、強風が吹くたびに「負けねーかんな!」と、うりゃーと走っていた結果、

 

予定外のビルドアップ(ラストは意識的に上げてます)。

 

モノの本によりますと、

 

「ペース走は決めたペースを守ってナンボ」

「調子がいいからと上げては目的未達成」

「余裕をもって終わるべし」

 

毎度のことながらペース走って難しいなえー?

 

 

◆◆◆

 

 

今日、また一つ訃報が入りました。

懇意にしていた民宿の女将さん。

 

伊東にあるその民宿は、伊東オレンジビーチという、若干マイナー、でも大好きな大会のスタート地点にほど近く、出走する年は必ずそこを定宿にしていました。

 

そこは料理人の旦那さんと、二人で切り盛りしている小さな宿で、決して豪華でも便利でもなく、

 

けれど、その女将さんの人柄が、とにかく温かく、人懐こく、ちょっとクセがあることも含めて、また来るね!と最後は必ず再訪を約してしまう、不思議な魅力のある宿でした。

 

そんな女将さんのFBがあがったのが昨日。

 

「2月20日、母がくも膜下出血で倒れました」

 

それは娘さんからの投稿で、

 

「今、母は病院で闘っています。どうか皆さん、母にパワーを送ってください」

 

あんなに元気だった女将さんが!と驚き、すぐにわたしもコメントを投稿。

 

『女将さん、負けないで!』

 

それしか言えなかったけれど、そのときはまだ信じていたから。絶対回復するだろうって。女将さんかだら大丈夫って。

 

そうして一夜明け、再びの報告。

 

「ありがとうございました。本日11時40分、母は亡くなりました」

 

本当にあっけない最期でした。

最初の報告からわずか一日。

どうして、という気持ちでいっぱいです。

 

そこに初めて泊まった時は、冗談交じりで「わたし、速いんですよ、メダル持ってきますよ」と言ったところ、全然信用していない顔してて、

 

けどその頃は、わりと本当にわたしはそこそこ速かったので←、本当にメダルを持っていったら、驚いて「こんなすごい人がうちの宿に!」と、卒倒するくらいのリアクションをいただき笑(てか、そんなにすごくはないw)

 

その後、毎年わたしが泊まるたび、「メダリストの定宿になっている」ことが女将さんの大変な自慢のようで(何度もいいますが、本当にそんなにすごくはない=10キロ@43分くらい笑)

 

それはそれは嬉しそうに送り出してくれ、寒い中応援にも駆けつけてくださり、

 

「また来てね。あなたはうちのハナタカさんよ」と、来年の再会を笑顔で約しました。

 

ここ数年は、同時期に行われる名護ハーフにうっかりかまけており、すっかりご無沙汰しているうちに、民宿自体が台風の被害で閉店。

 

それでも、いつかまた会いに行こうって。

もう一度オレンジビーチに出て、今度は一番高い段に上がって(←41分台くらいでイケル)金メダルをプレゼントできたらいいなって

 

ずっと思っていたのにな。

 

こんなわたしを「鼻が高い」なんて言ってくれた人は女将さんだけ。

ありがとうございました。

 

本当に、もう一度会いたかったなあ。

 

 

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