気付いたら実家の庭の蛇口が外されておりました。
ううむ、とうとう宣戦布告か。
わが家vs水のおじさん
そのおじさんの存在を知ったのは、昨年の秋半ば。
母宅で見つけた水道代の請求書の金額にド肝を抜かれ、聞けば、知らんおじさんが日中こっそり庭の水道から水を汲んでおり、それを実家の全員(祖母、母、姉、甥姪)がなぜか容認しているという。
「おいおい、それ止めないとまずくね?」とわたしが抗議し、母にも姉にもなんなら甥にも蛇口に細工をしろと言ったところ、
「だっておじさん、困るじゃない」
と全員一致で、そのまま放置。
ホントにあんたら人良すぎww
そうして半年過ぎた先日、ふと水道を見てみると、なんと蛇口(の取っ手)が外されている?!
おそらく祖母が亡くなって、叔父たちが出入りするようになり、常識的な親戚の誰かがそれを取り外したんでしょう。
早速、実家でそれを告げると、やはり気がついていなかったらしく、
「え!それは大変!」と元に戻すよう、すぐに叔父にかけあう母。
なにが大変!なんだかわからず。
言われた叔父もまったく解せず。
ただわかっているのは、「おじさんが困っちゃう」となぜか困っている母の様子。
あのね、たぶんその水道料金、「おじさん」「ひとり」じゃないかんね。
たぶん、あのアパートに住んでる「おじさん」「全員」ほどの金額だかんねww
わかってんだかわかってないんだか、それでも再びその水道から水が出ることを望んでいる母。
まあね、祖母もわかっててずっと放置してたからね。
あの祖母あって、この母あり。
その血を引き継いだ姉と甥姪。
もうわたしはなにも言わない笑
◆◆
自分の価値観と違うこと、それを見て感じる様々なこと。
憤ったり、咎めたり、非難したり、呆れたり、軽蔑したり。
人はそれぞれ、色んな考え方があると思います。
わたしはとても身勝手だから、他人のことまでは思いやれない。
けれど、せめて自分の周りの人、家族や友人や仲間には、「正しさ」より「優しさ」を優先したい。
正しくないかもしれない、けれど、水道に蛇口をつけてあげたい。
そして、こんなときだから、優しいことが正しいことになるのかもしれないと。
正論は小声で。
自戒を込めて。