水曜日は実家の日。
買い物袋を引っ提げて、祖母を見舞うのが週一のルーティン。
そおっと祖母宅の玄関を開けると、何やら一番手前の部屋から、ひょこひょこと出てくる祖母の姿が。
「また、お外見ていたの?」
母が言うには最近の祖母は、かなり長い時間、窓から外を眺めているようで、そこが暖房器具もついてない道路側の部屋だというので、風邪をひかないかと心配だと。
祖母宅の二階の窓からは、行き交う人の姿が見える。
そこは小学校の通学路になっており、
かつては毎朝子どもたちにそこから手を振り見送って、
子どもたちも手を振り返し、祖母は楽し気に笑っていた。
そのときを思い出してるのかな。
あのときの光景を見ているのかな。
身体こそまだ元気だけれど、少しずつ記憶容量は小さくなり、昨日来ていた叔父さんを会っていないよ、と言い張ったり、1分前に話してたことも、ちょっとどっかで抜けてたり
でも、こんな風に、「何が」とか、「子どもたちと手を振りあって楽しかったこと」までは思い出すことはないけれど、
ただ、ここの場所は「楽しいところ」だったということだけはちゃんと覚えているから、
平日の昼間。ぽつりぽつりとしか人が通らない、その通りを飽きもせず、きっと眺めているんだなあ、と
あの時の幸せな記憶に寄り添っているんだなぁと。
そうだね。
来月には106歳。
記憶容量もおそらくマックス。
辛い記憶やつまんない過去は、もう少しずつ消去して、楽しいことだけで埋めていっても全然バチなんて当たらない。
昨年、「最後かもしれない」なんて縁起でもないことを言っていた桜ももう間もなく開花するね。
また一緒に見に行けるかな。
春が来たってわかるかな。
また一つ、何かを忘れても、記憶から零れ落ちても構わないから、
「サクラキレイだったね」と、また一つ、幸せな記憶を一緒に作れたらいいな。