言い訳について考えてみた。
多分、起こってしまった結果について、後からそれを探すことは少なくて、
本当はこうしなきゃいけない、というものがわかっていながら、そっちに進まないことについて、前もってそれなりきの体裁を整えようと事前に用意している行為なんじゃないかと思い。
例えば、何処かに行こうとする。
結果は決めている、「行くことはない」と。
それを「行かない」ではなく「行けない」とするために、色々と言い訳を考える。
時間がないから。
お金がないから。
その他縛られている何か。
それは最初から放棄されてる努力。
多分、「行く」と決めたら、その反対の言い訳がきっとたくさん出てくる。
どうしても行きたいから。
今しかないから。
行くことで得る大切な何か。
それは最初から実現しようという努力。
要は、言い訳は原因なんかになりえないということ。
いいわけがあって、結果があるのではなく、結果があって、いいわけを探す。
原因だったと思いたい、正当化される言い訳を。
本当は問題はそこでなく、
結果を決めつけているということ。
人間は、思ったことをやっていこうとする生き物。
思考は現実化する。
「そうできればいいね」とか、そういうポーズは要らない。
思うこと。
強く、思うこと。
ただそれだけ。
辿りつきたいところがあれば、「辿りつきたい」を言い訳にして、
後のことは、結果がきっと浄化してくれる。