任意後見 | みやみの『住めばmiyako』

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Iさんの申し出は、突然だった。


初めてIさんにお会いしたのは、ほんの些細な登記のお仕事だった。知り合いの土地家屋調査士先生がご紹介下さり、Iさん所有の土地の所有権保存の登記を頼まれたのがきっかけだった。


その日、土地家屋調査士先生と一緒に初めて来所されたIさんは、わたしが登記の説明をしたほんの十数分後、帰る間際にこう言ったのだ。


「わたしの後見人になってもらえませんか」


全く、登記とは関係ない、その申し出にわたしは正直戸惑った。というのも、わたしは、成年後見の仕事を受けたこともなければ、その知識だって乏しい、全くの素人だったから。


もちろん、司法書士には、専門的な業務として成年後見というものがある。成年後見というのは、簡単に言うと、物事を判断する能力が低下したとき、その本人に代わり、その方の財産管理や、法律行為を代理して行う、法的代理人となることだ。この成年後見は、いまや司法書士がそのエキスパートとして働いており、それを専門に業務を行っている先生方もたくさんいらっしゃる。


しかし。


わたしは全くと言ってこの分野に手をだしてこなかった。それは、正直怖かったことが一番の要因だ。自分の家計簿も満足につけられない人間が、他人様の財産を管理するなんて。そして、いざとなった場合、その他人様の人生まできちんと面倒を看なければならないなんて。それが自分の母親だとしても、できるかどうか。自問すると常に答えノーだった。


そのIさんの申し出に、わたしは言葉を詰まらせた。わたしの立場で「できません」というのは、許されるのか。「やってません」なら語弊がないのか。考えているうちに、Iさんは、自分のことを語り出した。結婚もせず、子供もおらず、将来のことがとても心配だということ。最近、糖尿で目が見え辛くなっており、足も弱り始め、今後の生活にも不安を抱いていること。何人か兄弟はいるが、仲があまりよくないこと、その中で、最も信頼していた下の兄(Iさんは5人兄弟)が、去年他界して、心細くなっていること。


話を聞くにつれ、断るきっかけを失っていくのがわかった。「考えておきます」という中途半端な返事で、その日はお引取り頂いたが、一人になって考えるにつれ、やはり自分には無理だという結論に達した。少し、自分には荷が重過ぎると。生じっかな気持ちで引き受けるほうが失礼だと、自分自身に言い訳をしながら。


明くる朝。


いつもの多摩川のマラソンコースを走っていると、正面からIさんがゆっくりと歩いてくるのがわかった。来所時、とても特徴のあるジャケットを着てらっしゃったので、すぐに目に留まった。朝の6時半。正面から歩いてくるIさんはとてもゆっくり、ゆっくり、下を向いて歩いていた。聞けばIさんは、すでに仕事を辞め、所有している不動産の家賃収入で暮らしているらしい。なので、外出することもなく、ほぼ一日中、一年中、何処に行く用事もなく、家に閉じこもっているらしく。その翌日も、翌日も、わたしは朝、Iさんとすれ違った。きっと、Iさんにとって、この朝の散歩が、大事な日課であり、大事な健康法なんだと感じた。こんな朝早く起きて、一体どんな一日を過ごしているのか。


振り向くと、Iさんの背中がとても小さく見えた。


その一週間後。頼まれていたIさんの登記が完了した。書類を受け取りにくるIさんに、わたしは「やはり、できません」と、後見人になることの断りの文句を考えていた。一週間、考えて出した結論だった。やはり、わたしには荷が重過ぎる。


しかし。


来所したIさんの顔を見たら、そんなことは言えなかった。こんな、一回会っただけの人間に、後見人を頼まなければならなかったIさんの胸の内、孤独と闘いながら毎日を過ごしているだろうIさんの背中。「できません」というのは簡単だ。けれど、こんなわたしを必要としてくれている人がいる、たった一回の面談で信頼を置いてくれた人がいる、その事実は、わたしにとっても大きな宝だ。


「引き受けます」


Iさんは、とても嬉しそうに頭を下げてくださった。「ありがとうございます」と。それはわたしのセリフだ。わたしなんかでいいのか、とわたしが聞きたいくらいなのに。


学ばなければならないことが、これから沢山ある。任意後見制度、というものを使うので、実際わたしがIさんの後見人となって動くまではまだ時間がある。それまでに充分な業務ができるように準備をしよう。(任意後見制度というのは、本人が判断能力あるうちに後見人と後見契約を結んでおき、判断能力が低下し、後見が必要となった場合、正式に裁判所で後見人として任命されて業務がスタートする制度)


お葬儀は、ほんの身内だけでいい、だれそれには遺産を分配したくない、骨は海に散骨して欲しい、など死亡後の希望ばかりを述べるIさんに、生きているうちに、やりたいことを言ってもらおう。しっかり、わたしが守りますから。


もうすぐ多摩川も桜が咲く。少し上を向いて歩いてくれるといい。


これから毎日擦れ違うだろう、わたしの依頼人の背中が、少し伸びてくれるといい。