友人の日記に、雷を怖がるワンちゃんのことが書いてあったので、ふと思い出した。
十数年前に、実家で飼っていた犬のこと。
名前を「小次郎」と言って、犬好きの父が急に買ってきた柴犬。
『もう~、お父さんったらね、ペットショップの前でこれ、見つけたら、その場を離れなくてね、買って帰る、の一点張りなの。』
困った顔の母と、嬉しそうに犬を抱えて帰ってきた父の対比が、子どものわたしにはおかしかった。
動物好きの父のおかげで、家の中はすでに猫が二匹いたけど、そうして小次郎はしっかりと、ちゃっかりと家族の一員となった。(ちなみにその後、さらに父は猫を一匹拾ってくる。家の中は、それはもう、賑やかだった)
そんな小次郎は、槙尾家初の犬として、それはそれは大事にされた。猫派だった家族も、犬の賢さ、忠実さに、今までにない、家族としての愛情を感じていた。
特にわたしは、小次郎のお散歩係だったから、小次郎も特にわたしに懐き、連れ立っての散歩は、とても楽しいものだった。
少しでもわたしから離れると、不安そうにわたしを見遣り、名前を呼ぶと全力で走ってくる、その姿が可愛くて。
わたしも、そして家族も、小次郎が本当に大好きだった。
そんな、小次郎が、ある日コツ然と姿を消した。
それは、今くらいの時期だったろう、七月の終わりころ。
本当に、煙のように姿を消してしまったのだ。
最後に小次郎を見たのは、就寝前。お散歩から帰って、お休み、と言って顔を観たのが最後となった。
朝起きたら、小次郎はいなくなっていた。
小次郎は、実家の階段室で飼われており、外部とは大きなガラス戸で遮られてるので、外に出ることなどできるはずもないのだか、本当に、コツ然といなくなってしまったのだ。
もちろん家族の誰も、その扉を開け放したりしていない。鍵はかかっていないのだけど、その大きなガラス戸を押して開けるには、犬の力は弱すぎる。
思い出すのは、その夜、大きな雷が鳴っていたこと。
もともと小次郎は、雷が大嫌いで、いつも怯えていたので、パニックになり、力の限りで扉を開けて、逃げ出してしまったのかもしれない、というのが大半の予想だった。
しかし。
同じ夜、近所の酒屋のメス犬もコツ然といなくなったことを耳にした。
あ、そっか、と私たち家族は納得する。
『きっと、駆け落ちしたんだね』
そう思うことでしか、哀しみが埋められなかったから。
あれから、十数年。しばらく、色んなところに手を尽くし、小次郎の消息を探し続けていたけれど、今では、どこか遠いところで、仲睦ましく暮らしているだろう小次郎を思うと、それもいいね、と思えてくる。
今頃、どうしているかな。純愛を貫いて、温かい家庭なんか、築いているかな。
小次郎とお嫁さんと、何匹もの仔犬たち。想像すると、なんだか気持も温かくなる。
町で柴犬を見かけると、わたしは必ず立ち止まる。
鼻のあたりが小次郎に似てないか、少し両目の形が違う、あの瞳に似てないか。
もしかしたらまた会えるかも。そんな期待がまだ消えない。
その時はきっとまた、全力で走ってきてね、小次郎!