命日によせて | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

今日は、父の命日だ。

亡くなったのが平成13年だったから、もう10年も経つ。本当に月日が経つのは早い。


10年前の今日、朝方というか、夜中、母の電話で起こされた。

それは、「すぐに病院に来て」というものだった。

夢うつつにわたしは、ドラマかなんかの中にいる気分で着替え、家を出たのを覚えている。


父はすでに一カ月以上入院していた。

現役の司法書士だった父は、事務所のことはほぼ母に任せている状態だったが、

わたしが生じっか、司法書士試験を目指してなんかいたもんだから、事務所はたたまずにいたようだ。

もちろん、本人だって、まだまだ働こうと思っていたのかもしれない。

実際、ゴールデンウィーク後には退院できると言われており、退院したら行こうと思っていたのか、

大好きなタンシチューのお店を探していたくらいだから。


病院に駆けつけると、そこには泣き崩れた母の姿があった。

「お父さんが・・・」とようやく発した母の後に続く言葉はなかった。


間に合わなかった。

残念ながら、家族の誰も。


聞くと、容態は急変したらしい。

いつもどおり、父の身の回りの世話をして、帰る母の背中に発した言葉。

「気をつけて帰れよ」

これがわたしたち家族の聞いた最後の言葉になった。

わたしなど、最後に父と交わした言葉なんて覚えてさえいない。


人が死んでしまうのは仕方がない。お通夜も告別式も、流れるままに進められる。

感情はともかく、作業としては淡々と、用意されたものをこなしていくだけだ。


けれど、後に残されたものはどうしたらいいんだろう。

「事務所の看板」これをどうしたもんか、というのが一番の問題だった。

残された場所、残された書類、一番の問題は残されたお客様だ。


やるしかなかった。もう泣き言は許されない。

父の事務所を継ぐのは、もうわたししかいない。

それが、わたしにできる、唯一のそして最後の親孝行だった。


その二年後、わたしは司法書士試験に合格した。


わたしが司法書士試験に合格したことを父は知らない。

存命中、父はわたしに一度も司法書士を目指すよう促すこともしなかった。

好きなことをすれぱいい、と言い続けてくれた父だったが、わたしが試験を目指すと行った時の

嬉しそうな顔は忘れない。


今日、仕事帰りに父の墓参りをした。

墓前に手を合わせ、毎年命日に父に話しかけることは一緒だ。


「お父さん、後を継いで10年が経ちました。いつも見守ってくれてありがとう。これからも、あたし頑張るからね」


細木数子さんが言った言葉。

「墓前に「お願い」はしちゃいけない。伝えるのは感謝だけ」と。


だから、わたしは感謝と報告をする。

これからも、亡くなった父が心配するようなお願いごとなんて、できない自分でありたいと思う。


遅すぎた親孝行だけど、父は喜んでくれているだろうか。