写真は2021年のひとり初詣でのおみくじです。

 

おみくじで最初に読んだところは、

「進学・・・努力と分に応じ学校を選びなさい。入学よし。」

なるほど、そうきたか。。。。

 

なぜ そこ?と思った方多いはず、昨年私は、めでたく50歳になりました。(人生折り返し地点爆笑)

成人の長男と高校生の次男がおります。

わたしは、高校卒業し、看護専門学校を経て看護師になりました。

元々、地元の進学校にいき大学目指して勉強していましたが、家庭の経済的事情もあり、

看護の道を選びました。

 

当時、国立大を志望しており、第2志望として私立大学を受験しても通えるのは難しく、代わりに看護学校受験していました。

看護学校は、最初から行く気がなく、受験も東京に行けるならと観光気分でという浅はかな気持ちです。

(本当に失礼な話です。看護師の皆様、看護を目指すみなさまには大変不愉快な思いをさせてしまいましたねあせるすいません。)

 

しかし、そんなわたしも共通一次試験が思うように上手くいかず、志望大学を断念し、別の大学を受験し合格を頂くのですが

父が入退院を繰り返し、経済状況もままならず、親戚からも多額の借金をしていました。

親戚からは大学に行くお金がどこにあるんだ!看護師になったほうが家のためになる!など父が言われたのだと思います。

父が泣きながら、大学進学をあきらめてくれと

初めてみる父の涙でしたし、父も戦争中でしたし身体が弱く病気がちで経済的な事情もあり進学は出来ず、

悔しい思いをしていたのでわたしの気持ちは私以上に大学に行かせてやりたいという思いもあり辛かったと思います。

 

学費は奨学金やバイトで何とかなると思っていましたが親戚に多額の借金があることを知り、自分の気持ちを貫くことができず、不条理ながらも看護師を目指すことを決めました。

そのことが、30年以上たってもずっと心に引っかかっていたんですね。

そのため、看護学校に入学してもどこか冷めて、仕方なく講義をうける。周囲のみんなが期待膨らませて看護の話について話してもどこかついていけないところがありました。

「私は、あなたたちとは違う。本当は別の事を学びたかった。違う道があったはず。。。」

ひねていたように思いますえーん

 

昨年、次男と大学進学の話になり、「まだ大学に行く目的が見いだせない、とりあえず、大学いっとくという考えはないから」と断言。

私は、なぜ?

「行きたくてもいけない人だってたくさんいるし、行ける環境なら行った方がいい。勉強だけでなく、たくさんの人と出会うだろうし、

勉強以外でも何かみつけられるかもしれない。」と思い、さらに次男から、「いつも大学にとりあえず行っとけって言ってるでしょう!」

の言葉に唖然。ショックでした。。。。えーん

私の思いは伝わってなかった。。。。。その瞬間、「お母さんが大学にいきたいだよ~!!」泣きながら私は叫んでいました。

次男は、この状況に茫然としていましたがそれ以上何もいいませんでした。

その後、私が大学に行きたいだ!次男の為でなく、私自身のこと。そして

自分の価値観を次男に押しつけていたかもしれないとはっとさせられました。

 

しばらくして、姉に「私、ずっと大学行きたかったんだよね。。。。」と次男とのやりとりを

話すと 姉から「息子たちも大きくなったし、経済的に大丈夫なら、行けばいいんじゃない?」と

「ええ~無理無理ショック!」と思いながらも「そうだ!私が行けばいいんだ!」

喉に引っかかっていた魚の骨がとれたようにすうーっと軽くなったのです。

私がやりたかったこと、長年心残りなことは、大学で学ぶこと、キャンパスを歩いてみたいという淡い気持ちを思い出しました。

 

そこから、大学受験をしてみようと思うようになり、社会人を受け入れてくれる大学の情報を集め、入試内容、必要な科目

条件など

しかし、コロナ禍でオープンキャンパスをウェブのみだったり、情報開示がなかなかでなかったりと

いつもと違う環境だったと思います。

それでも行きたい学部と通いやすい場所などを考慮し、大学を選び準備を進めていきました。

わたしは、文学部史学科を志望。試験内容は書類審査と面接、小論文です。

コロナ禍のため、今回は、異例の課題小論文となりました。

 

これだったら、ぶっつけ本番でなく、ある程度まとめ、小論文さえ提出すれば何とかなるかもと甘い考えでした。

今春から大学生になれるかもとウキウキがとまりません。

地元の高校に書類をお願いするのもワクワクしたり、新しい道に光を見出していました。

 

しかし、小論文といっても何十年ぶりに書くのでどのように論ずけていいやら、悪戦苦闘です。一般論な文章は書けるのですが、自分の考えを人に納得させること論ずることが上手くできません。早くも壁にぶち当たり、書けるようになるのかしらと焦るばかりですあせる

 

それでも、小論文を教えて下さる講師の助言で次第に自分の言いたいことがまとまり、何度も書き直し、なんとか書き終え願書と一緒に提出することができました。

それが昨年の11月上旬のことです。

 

12月に入り、選抜試験の現役学生と一緒に受験しました。久々の受験生となり、あきらかに保護者のようなわたしでしたが心は学生、

緊張しつつも受験できることが嬉しかったです。

 

12月下旬、郵送で合否の通知がきました。恐る恐る開くと、結果は残念ながら不合格でした。。。。えーん

とてもショックでした。。。。何がだめだった?なぜ?  また私は、大学に行けないの!!悔しいやら悲しいやらでしばらくは、

気持ちが沈んでしまいました。

 

どこかできっと大丈夫、と安易な気持ちがあったことは間違いありません。

しかし、決して甘くはありませんでした。私のこの大学に行きたいという熱意がたりなかったのか、何を研究したいかしっかりおさえておくべきだったと後悔の嵐です。

 

暫くは、何も考えられずに、年末年始を過ごし、少しずつ自分の気持ちを振り返り、

なぜ、私は大学にいきたいのか!もう一度考えてみることにしました。

 

結果、私は、当時大学進学できなかったことは、自分の責任ではなく、家庭や環境のせいにして自分の気持ちに決着つけないまま、逃げていたこと。あの頃のままだったことに気が付きました。

 

アドラー心理学サロンより抜粋

 

「やる前から言い訳したり、できなくても仕方がないと逃げる道を作るような人は何をやっても失敗します。

 

こういう人に良くあるのが全ての生い立ちや環境のせいにする他責思考です。

 

自分の未熟さが失敗を本心では理解しておきながら誰かのせいにしている様では、ずっと失敗を繰り返します。」

 

30年以上も自分の生い立ちのせいにしていたのは私でした。

それを受け入れたときに やっと、あの時のわたし自身に折り合いをつけれたように思います。

長い時間がかかりました。

 

今回、コロナ禍での大学受験は失敗に終わりましたが、チャレンジしたことで自分を受け入れることが出来たことは大きなわたしの「まなび」となりました。

そしてこれからも、世界史は学びつづけていこうと思います。歴史がわかると現代の問題も必然的にわかってきます。

今回コロナ禍で大学行こうと思った自分を褒めてあげたいです!!

 

わたしにとって「まなび」とは、自分を受け入れて人の立場になって考えることができること。

そして、未来のわたしたちに繋げていくことだと思っていますニコニコ

 

佐々木みか