
存在しない十三人目
第10話 二人の冬真
「どっちが07なのかだ」
足音が、
地下へ近づいていた。
冬真は二枚の戸籍を握ったまま、
動けなかった。
同じ父。
相馬宗一郎。
同じ母。
相馬美和子。
同じ長男。
相馬冬真。
同じ生年月日。
一九八九年五月二十一日。
目の前の男も、
自分も。
同じ人間の記録を持っている。
「説明しろ」
冬真が言った。
「後だ」
男が照明を消した。
地下が暗くなる。
「おい」
「黙って」
階段。
足音。
一人。
二人。
少なくとも三人。
男は冬真の腕を引き、
棚の奥へ移動した。
「出口は?」
冬真が囁く。
「ない」
「は?」
「ここは記録を守る場所だ。人が逃げる場所じゃない」
「じゃあどうする」
男は答えなかった。
階段の扉が開く。
光。
男たちが入ってきた。
「相馬冬真さん」
声。
冬真は息を止めた。
「出てきてください」
丁寧だった。
怒鳴らない。
脅さない。
「危害を加えるつもりはありません」
隣の男が、
冬真の耳元で小さく言った。
「絶対出るな」
冬真は、
逆に疑った。
なぜ。
この男を信用する?
07を名乗っているだけ。
戸籍を持っているだけ。
電話の男は、
07は死んだ
と言った。
白沢の女は、
私も信用しないでください
と言った。
全員、
身元不明。
なら。
目の前にいる人間も同じだ。
冬真は棚の陰から出た。
「おい!」
07を名乗る男が小さく叫ぶ。
冬真は無視した。
「相馬冬真です」
三人の男。
中央。
五十代くらい。
濃紺のスーツ。
眼鏡。
武器は見えない。
男は冬真を見ると、
軽く頭を下げた。
「お待ちしていました」
「誰ですか」
男は答えた。
「管理番号04」
名前ではなかった。

「書庫の人間ですか」
冬真が聞いた。
04は少しだけ笑った。
「その名称をどこで?」
「電話で聞きました」
「誰から?」
「知りません」
「そうですか」
驚かない。
04の視線が、
冬真の後ろへ向く。
「07」
隠れていた男の顔が変わった。
「久しぶりですね」
男が出てくる。
「俺を07と呼ぶな」
「では何と?」
「……」
「名前がないのでしょう」
04は淡々と言った。
冬真は二人を見る。
知り合いだ。
少なくとも、
初対面ではない。
「この人、本当に07なんですか」
冬真が聞いた。
04は答える。
「かつては」
「かつて?」
「現在の07はあなたです」
04が、
冬真を指した。
隣の男が笑った。
「ほら始まった」
「何が」
「こいつらのやり方だ」
04は反応しない。
冬真を見る。
「あなたが何を聞かされたかは知りません」
「なら説明してください」
「何を?」
「全部」
04は初めて少し考えた。
「全部という言葉は危険です」
「またそれかよ」
「二十九年間の記録があります」
04は言った。
「そのすべてを一度に知れば、あなたは事実と解釈を区別できなくなる」
「じゃあ一つ」
冬真は二枚の戸籍を見せた。
「これは何ですか」
04の表情が、
初めて変わった。
ほんの一瞬。
だが、
冬真は見逃さなかった。
「どこでそれを?」
「ここ」
冬真は父のカセットが入っていた箱を指した。
04が箱を見る。
「……宗一郎」
小さく呟いた。
「知ってるんですね」
04は答えない。
「親父は何者だったんです?」
沈黙。
「十三人目?」
04は冬真を見る。
「違います」
「じゃあ」
「相馬宗一郎は」
一拍。
「記録官でした」

「記録官?」
「人間の経歴を記録し、必要に応じて分離する役割です」
「分離?」
04は冬真と、
07を名乗る男を見る。
「一人の人間から、一つの身分を切り離す」
「意味が分からない」
「例えば」
04は棚から一冊のファイルを取った。
「ある人物が国外で十年間活動したとします」
「はい」
「本名を使えば、本人だけでなく家族まで危険に晒される」
「偽名を使う?」
「それだけでは足りません」
04はファイルを開く。
中は見せない。
「偽名にも、過去が必要です」
学校。
勤務先。
住所。
税。
病歴。
家族。
人間が生きている以上、
記録が残る。
「存在しない人間を」
04は言った。
「記録の上で存在させる」
冬真は東和記録の棚を見る。
「それが書庫?」
「一部です」
「国の組織?」
04は答えない。
「警察?」
沈黙。
「自衛隊?」
沈黙。
「どこなんですか」
04は冬真を見る。
「その質問に答える正式な組織は存在しません」
冬真は、
ようやく少し理解した。
存在しない。
だから、
記録を扱う。
「親父はそこで働いてた?」
「宗一郎は協力者でした」
「東和は?」
「協力組織の一つです」
冬真は周囲を見る。
自分が九年間働いてきた会社。
その地下。
二十九年前の記録。
偶然ではなかった。
「じゃあ俺が東和に入ったのも」
04は答えない。
冬真は父の言葉を思い出した。
就職を報告した日。
そこにしたのか。
あれは、
ただの父親の反応ではなかった。

「二人の冬真について説明してください」
冬真は言った。
04は、
07を名乗る男を見る。
「あなたから聞いた方がいい」
「俺?」
男が笑う。
「今さら俺に押し付ける?」
「あなたの記憶です」
「記録じゃなく?」
「今回は」
男はしばらく黙った。
そして。
「俺は一九九六年まで相馬冬真だった」
冬真を見る。
「七歳」
「宗一郎の息子?」
「そう思ってた」
「母親は」
「美和子」
冬真と同じ。
「家は?」
男が、
冬真の幼少期の住所を言った。
同じだった。
「待て」
冬真は遮る。
「じゃあ俺は?」
「知らない」
「写真に二人いる」
「覚えてる」
「俺のことも?」
男は冬真を見る。
「顔だけ」
「名前は?」
「なかった」
冬真は黙る。
「宗一郎はお前を何て呼んでた」
「呼んでない」
「そんなわけ――」
「本当だ」
男は言った。
「お前が来たのは十一月十八日」
赤いファイル。
対象07 搬入
冬真は眉を寄せる。
「でもあれはお前のファイルだろ」
「違う」
男は答えた。
「最初は俺の番号だった」
冬真は止まる。
「最初?」
「番号を移された」
04を見る。
「こいつらに」
04は否定しない。
男が続ける。
「俺が07だった」
「……」
「お前が来た」
「……」
「三日後」
男の声が低くなる。
「お前が07になった」
冬真は、
第7話で見た記録を思い出した。
……を07として登録
破られたページ。
あれは。
番号の移動だった。

「何で」
冬真が聞く。
「何で俺を07にした」
男は04を見る。
04が答えた。
「保護するためです」
「何から」
「十三番目から」
また。
十三番目。
「十三番目は記録なんですよね」
04は冬真を見る。
「誰に聞きました?」
「電話の男」
「どんな説明を?」
「十二の記録に属さない、存在してはいけない十三番目」
04はしばらく黙った。
「大筋では正しい」
「じゃあ何なんです?」
「一九九六年当時、書庫には十二の身分記録がありました」
「人間じゃなく?」
「はい」
第8話。
07を名乗る男が言った。
十二人は人間の数じゃない。
本当だった。
「十二の身分を、必要な人間へ割り当てていた」
04が続ける。
「番号は人間そのものではありません」
「だから07が移せる?」
「そうです」
冬真は、
ようやく数字の意味を理解し始めた。
07。
人間の番号ではない。
身分の番号。
「じゃあ十三は」
04の顔が固くなる。
「存在してはいけない身分です」
「誰の?」
「分かりません」
「書庫なのに?」
「だから問題になった」
04は言った。
「十二しか作っていないはずの身分が」
「……」
「ある日、十三になっていた」
冬真は背筋に寒気を感じた。
「誰かが勝手に作った?」
「そう考えられました」
「誰が」
04は答えない。
「宗一郎?」
沈黙。
「親父なんですか」
04は首を横に振った。
「宗一郎は」
少し間を置く。
「十三番目を消そうとした側です」
冬真は何も言えなかった。
父。
疑うべき人間。
身分を消した人間。
嘘をついた人間。
だが。
十三番目を作った人間ではない。
少なくとも、
04の話では。

上階。
音。
何かが倒れた。
04の後ろにいた男が、
イヤホンへ手を当てる。
「侵入です」
04の表情が変わる。
「人数」
「不明。正面と搬入口」
07を名乗る男が笑った。
「お前らじゃないのか」
04は無視する。
冬真を見る。
「13の鍵を」
「嫌です」
「それは書庫の所有物です」
「女にもらった」
「誰です?」
「十二人の一人だって言ってた」
04の顔が止まる。
「女性ですか」
「そう」
「年齢は」
「三十代くらい」
04は、
初めて明確に動揺した。
「あり得ない」
「何が」
「その鍵は」
04が冬真の手を見る。
「一九九六年十一月二十一日に廃棄されています」
冬真は鍵を見る。
13
「でもここにある」
「だから、あり得ない」
上。
足音。
地下へ向かっている。
04が指示する。
「記録を閉鎖。消去準備」
冬真は聞き返す。
「消去?」
「ここを捨てます」
「全部?」
「はい」
二十九年分。
父。
07。
十三番目。
全部。
「待ってください」
冬真は赤いファイルを抱える。
そのとき。
地下の照明が消えた。
暗闇。
誰かの声。
「動くな!」
衝撃音。
悲鳴。
冬真は棚へ身体をぶつけた。
誰かに腕を掴まれる。
「こっち!」
女の声。
知っている。
白沢の女。
冬真は引かれる。
「何でここに」
「走って」
「待って」
「13の鍵は?」
「持ってる」
「絶対に04へ渡さないで」
暗闇の中を進む。
「あなた何者なんですか」
女は答えない。
「十二人の一人って嘘だったんですか」
女の足が止まった。
「誰に聞いたの」
「07」
「どっちの?」
冬真は言葉を失った。
女は、
自分が口を滑らせたことに気づいた。
暗闇。
数秒。
「今……」
冬真が言う。
「どっちの07って言いました?」
女は答えない。
遠く。
非常灯が点く。
赤い光。
冬真は女の顔を初めてはっきり見た。
そして。
気づいた。
どこかで見た顔。
白沢ではない。
もっと前。
冬真はポケットからスマートフォンを出す。
第3話で撮った、
一九九六年の集合写真。
拡大。
十三人。
父。
三枝。
そして。
左から四番目。
若い女性。
目の前の女と、
同じ顔。
ほとんど、
歳を取っていない。
「……これ」
冬真が写真を見せる。
女は、
目を逸らさなかった。
「一九九六年ですよ」
「知ってる」
「この人……あなたですよね」
「違う」
「でも」
「私じゃない」
女は答えた。
そして、
冬真が最も聞きたくない言葉を続けた。
「私の母です」
冬真は写真を見る。
一九九六年。
女の母。
「じゃあ、あなたは……」
女は答えた。
「私は一九九六年には生まれていない」
「何でこのことを知ってる」
女は冬真を見る。
「父から聞いたから」
「父?」
「あなたも知ってる」
冬真の頭に、
嫌な予感が走る。
女は言った。
「三枝隆文。私の父です」
冬真は動けなかった。
三枝。
一九九六年の手帳。
父・宗一郎と写った男。
07 / 13
そして。
白沢の女が最初に言った言葉。
あれは三枝の手帳ではありません。
冬真は、
ようやくその意味に気づいた。
「じゃあ……あの手帳は誰の?」
女は、
冬真を見た。
「宗一郎さんのものです」
「親父の?」
「三枝隆文という名前で」
女は言った。
「宗一郎さんが使っていた記録です」
冬真の頭に、
手帳の一文が蘇る。
12名 処理完了
13 保留
07 移送
そして。
Sへ返却。
もし、
手帳を書いたのが宗一郎なら。
Sは、
宗一郎ではない。
冬真は女を見る。
「Sって誰です?」
女の表情が変わった。
「そこまで読んだの?」
「誰なんです」
女は答えなかった。
代わりに、
地下の奥を見る。
赤い非常灯。
誰かが、
こちらへ歩いてくる。
一人。
ゆっくり。
04でもない。
07を名乗る男でもない。
非通知の男の声が、
暗闇から聞こえた。
「私だ」
冬真の身体が固まった。
男が、
赤い光の中へ出る。
六十代くらい。
白髪。
冬真は初めて見る顔だった。
だが。
女は、
その男を知っていた。
「……S」
男は冬真を見る。
そして言った。
「やっと会えたな、13」

