#570 牡鹿半島News Clip。 | ダイビング&バイシクル!
GWに伺った牡鹿半島。


過疎の集落しかないこの半島のことはあまりメディアに取り上げられないので、定期的にググッってblogでご紹介したいと考えています。



2011.5.19 読売新聞 「思い出」どこに


 石巻市は、がれきの撤去や行方不明者の捜索の際に見つかったアルバムや遺影などの公開を始めた。

 雄勝総合支所仮庁舎では、約300冊のアルバムや位牌(いはい)などを専用のプレハブ小屋で展示。

同支所によると、公開は16日から始まり、約60人が思い出の品を探しに訪れた。

中には、親族の位牌や自分のアルバムを見つけて持ち帰った人もいた。


回収されたアルバムなどの公開が始まり、思い出の品を探す市民(18日、石巻市の雄勝総合支所仮庁舎で)18日に同所を訪れた同市雄勝町水浜、伊藤正幸さん(56)、信江さん(54)夫妻は、

「津波に家ごと流され、すべて無くなった。以前ここで父の位牌を見つけたため、アルバムがあればと思って来た」

と話していた。

 福地体育研修センターやにっこりサンパークでも公開され、23日からは旧石巻市庁舎と牡鹿公民館でも行われる。



ワタクシが伺ったときも、旧牡鹿町体育館にアルバム類がいっぱい集められていました。


「どうするのかなー」


と思っていましたが、ようやく公開が始まったようです。


記事の終わりに出てくる牡鹿公民館は、ワタクシがGW中に寝泊まりさせていただいたところです。


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公民館です。1Fは津波で全壊した場所です。

次は、有名人の慰問のハナシ。


2011.5.21 朝日新聞 「デーモン閣下さん、大相撲解説 石巻の公民館で実演交え」

テレビやパソコンが津波で流されて相撲を観戦できない被災者を励まそうと、ミュージシャンで相撲評論家のデーモン閣下さんが21日、宮城県石巻市の牡鹿公民館を訪れた。

 今場所はNHK中継がないため、インターネットの動画中継で取組を解説。右四つ、左四つといった用語を実演を交えて説明した。

 結びの把瑠都―白鵬戦では映像が止まって「寄り切って白鵬の勝ち」と音声だけが流れ、デーモンさんが「何のためにここへ来たのか」と肩を落とすと、会場は笑いに包まれた。

「震災で人々が落ち込んでいる時に相撲が別の理由で寂しくなっている」

「娯楽が失われた今こそ中継すべきだ」

と注文も忘れなかった。



「デーモン小暮閣下さん」とはちょっと笑いました。




2011.5.18 産経新聞 「元には戻らない…」 残ったのは5人だけ 住民移転で集落消滅の危機

 東日本大震災で住民が散り散りになり、「解散」同然の集落がある。

津波で全戸の家が流された牡鹿(おしか)半島の大谷川(おおやがわ)浜(宮城県石巻市)。住民約80人は全員無事だったが、仮の解散式後には仙台市の親族宅やアパートに引っ越し、残ったのは5人だけだった。

「もう元には戻らない」。

三陸沿岸には、そんな消えかかっている集落がたくさんある。(荒船清太)


 住民らの避難場所となっているのは旧大原中学校の校舎だ。

「若い人は戻ってこねえだろうなあ」。

釣り船業、阿部政悦さん(52)は寝ころびながらそうつぶやいた。

 大谷川浜では集落26戸全戸が津波で流され、公民館を捨てて山に逃げるなどして約80人全員が逃げ延びた。

一時は校舎の3階まで被災者が入っていたが、大半が石巻市内に移り住んでいた親族の家や仙台市内のアパートなどに移った。

今では1階に3世帯5人が暮らすだけとなった。

(後略)



この集落は牡鹿半島の北岸にあります。


ここにも伺いましたけど、5/8時点でガレキの除去は道路だけ。


自衛隊もボランティアも誰もいない、「時間が止まった街」でした。


$ダイビング&バイシクル!-ooyagawa panorama

写真の左側が大谷川浜集落です。

ご高齢の方も多い、こういった小規模集落では、確かに再建は難しいのかもしれません。

哀しい話しです。