でもワタクシが伺ったのは牡鹿半島の南側。
地形を文字にすると、半島の北側から、三陸海岸が始まります。
その北側。
南岸部よりも、もっとひどいありさまでした。
数少ない鉄筋の建物以外は、すべてがなくなっていました。

この写真の右側に写っている谷川(やがわ)小学校を訪れました。
より大きな地図で 牡鹿半島と三陸海岸 を表示

写真の右側の鉄骨の山は体育館だったそうです。

時計の4/5くらいのところまで津波が来たことがわかります。

1Fの教室はもうぐちゃぐちゃ。

「保健室」と書かれた手作りのプレートが校庭に落ちていました。
児童数14人、先生が8人のちっちゃな小学校。
でも、ここも音がしない場所でした。
時間も止まったまま。
道路だけはガレキの撤去が終わっていますが、学校も街も誰もいません。
街の復旧作業はまったく行われていないようでした。
半島ではどこでも見かけた自衛隊もいません。
もちろんボランティアの姿もありません。
学校のblogにはあの日の記事が。
2011.3.11 石巻市谷川小学校blog 「卒業式練習」
3月11日(金)
体育館での練習です。
あと1週間です。
歌声、別れの言葉のタイミングを
何度も練習しています。
...。
先生がこの記事をアップしたときは、平和な時間が流れていたのですね。
この学校にいた人たちがどうなったのか気になって、調べてみました。
幸いなことに、全員が助かっていました。よかったぁ。
予定よりずいぶん遅れましたが、卒業式も行われたそうです。
2011.4.10 共同通信(河北新報) 「住民の助言で高台に避難 全員無事卒業祝う 石巻・谷川小」
牡鹿半島にある宮城県石巻市谷川(やがわ)小の卒業式と終了式が9日、行われた。同校は津波で全壊したが、児童、教職員は学区内の住民に助けられ、全員が無事だった。
地域の絆の固さと温かさを胸に刻み、児童たちは新たな一歩を踏み出した。
3月11日の地震直後、校庭に集まった児童と教職員は、避難してきた地域住民の助言で、高台を通る県道に移動。直後に津波の第1波が押し寄せ体育館が流された。
校舎2階まで水没するほど水かさが増したため、児童らは山に登って逃げた。
波が収まった午後5時すぎには、小高い丘にある神社に避難。住民約20人とともに不安な一夜を過ごした。翌12日は隣の集落に移動して食事を分けてもらい、13日には全児童が保護者と再会を果たした。
式は当初、同小校庭で行う予定だったが、雨のため近くの旧大原中体育館に変更した。都合がつかなかった2人を除く12人が出席。千葉幸子校長(57)が、自宅に持ち帰っていたために流失を免れた卒業証書を3人の卒業生に手渡した。
千葉校長は「3日間の頑張りを通じて、皆さんは命の尊さと人の真心を学んだ。自信を持って中学校で力を発揮してほしい」と呼び掛けた。
同小は大原小を間借りして授業を再開するが、在校生11人のうち5人が市内や仙台市の小学校に転校する。谷川小に残る児童は「学校を明るくしたい」「みんなを引っ張っていく」などと誓っていた。
Link先の記事は前半部分しか参照することができませんが、このblogには全文が残っていました。
2011.4.11 相川哲弥ブログ 「住民の助言で高台に避難して全員無事。卒業祝う。石巻市・谷川小学校。 東日本大震災の津波避難成功例」