我ながらシツコイ!
と思いながら今日も関連ネタです。
もうこれで最後ですからっ!(多分)
ワタクシが石巻市小渕浜(こぶちはま)で民家の前庭にたまったドロ出しをさせていただいたときのハナシです。
2011.5.12 #286 ガレキとドロ出し。~GW牡鹿半島ボランティアレポート④
前庭には、ドロと、この地域にお住まいの方々のイロイロなものがごっちゃになって小山になっていました。
作業に入る前に、この家のおかあさんに確認しました。
ま、おかあさんって言っても、多分ジブンと同年代かちょっと上くらかなと^^;
ワタクシ 「寄り分けておきたいモノってありますか?」
おかあさん 「いやぁ、もう他から流れてきたものばかりだから、全部捨てちゃってください。」
ワタクシ 「わかりました。」
ところが。
出てくる、出てくる。
筒に入った卒業証書やら、アルバムやら、結婚披露宴の座席表やらなにやら。


おかあさん、気をつかって、ワタクシたちに嘘をついていたのです。
いちいち寄り分けるのはタイヘンだと。
ボランティアを頼むほうも、気を使っておられるのですね。
ボランティアってこういった細かいところまで気を使わなきゃなんだって、とても心に残ったことでした。
でもアルバムが出てきたときのおかあさんの笑顔はステキでした。
この集落について、最近報道された記事を見つけました。
2011.5.17 読売新聞 「民家20軒に360人避難、物置にも寝泊まり」
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市小渕浜(こぶちはま)地区では、避難所に指定されていた施設が流され、震災から2か月を過ぎた今も、残った約20軒の民家などに約360人が身を寄せあい生活する。
牡鹿半島の西岸に位置する漁村集落で、丘陵地のため仮設住宅もすぐに建てられないなど復興に向けた動きは鈍く、長期化する避難生活で住民たちに疲れが出ている。
震災前、同地区には157世帯578人が住んでいたが、家屋の8割が流されるなどして10人が死亡、8人が行方不明に。災害時の避難所として指定されていた公民館も流された。同市などによると、住民は残った民家や民宿計約20軒を避難所とし、震災以来、1軒あたり8~33人が共同生活を続けてきた。
被害を免れた家々は旧家が多く、広めの造りとはなっているが、多人数の生活には狭い。中には、家の中に入りきれず、外にある物置にシートを敷いて寝泊まりする人も。食料などの支援物資は最近は毎朝届くようになったが、震災からしばらくは不定期にしかこなかった。
水道は5月に入り、一部を除き復旧したが、それまでは10日に1度、海上自衛隊の輸送艦で入浴し、ドラム缶で作った風呂も使っていた。今は各家の風呂に交代で入り、食事も、支援物資の材料をもとに自分たちで調理している。区長の石森政彦さん(69)は「工夫を凝らして助け合ってきたが、他人の家に長期間世話になるため避難者にもストレスが出ており、生活に限界を感じ始めている」と話す。
震災から2ヵ月以上経ちました。

ガレキの山の中で、唯一新しいもの。それがこの電信柱です。
4月から1本づつ立ち始めて、この地区ではようやくGWになって電気が回復しました。
まさしく、この電信柱は希望の光なのです。
でも記事をご覧いただけるとわかるとおり、まだまだなのです。
ほんとにまだまだなのです。
こうやってメディア報道を見つけて案じていることしかできないジブンが歯がゆく感じます。