いわゆる「昭和ヒトケタ世代」と呼ばれるヒトです。
この年代のヒトたちは、どうも価値観にブレが大きいことを学生の頃から感じていました。
どうも一貫していないのです。
上手く言えないのですけど、なんか民主主義が身についていないとゆーか、後天的なモノを感じていたのです。
「どうしてなんだろう?」ってずっと思っていましたけど、まさか本人に聞くワケにはいきません。
「なんでそんなに価値観がメチャクチャなの?」
なんて。
今さら80過ぎのジイサンをいじめてもねぇ^^;
そのギモンがこの本を読みかえしてみて、初めてわかったような気がしました。
この国のかたち〈2〉 (文春文庫)/司馬遼太郎

Amazonによる紹介:
この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを大小となく煮詰め、エキスのようなものがとりだせないか―。
日本史に深い造詣を持つ著者が、さまざまな歴史の情景のなかから夾雑物を洗いながして、その核となっているものに迫り、日本人の本質は何かを問いかける。
確かな史観に裏打ちされた卓抜した評論。
この第2巻にこんなフレーズが。
「昭和一ケタあたりに生まれた人たちは、太平洋戦争が絶望的段階に入った昭和18年にはすでに中学生や女学生になっていただけに、精神の上で、最大の戦争被害者だったといっていい。」
彼は大正12(1923)年生まれです。
1996年に亡くなっていますが、父より5つ上なだけです。
その彼が父の世代のヒトたちを見て、驚いているのです。
「(彼らにとっての)旧日本とは、明治以後ではなく、少年期をすごした昭和18年ごろから敗戦までのたった二、三年の陰惨な時代に代表されていた。
その時代の中学生にとって、「天皇」とは、畏敬以上に恐怖の名称だったろう。」
「役人や教育者たちはおそるべきことに、天皇を勝手にそのいじめの構造の頂点にかつぎ、その名において少年たちをいためつける教育をしていた。」
父はギリギリ徴兵されていませんが、司馬遼太郎サンは阪大在学中に学徒動員で戦争に行っています。
その彼はこう言います。
「たとえば、軍隊には異常な思想教育というものはないのである。」
「仲間のたれを見ても、極端な右翼思想のもちぬしなどはいなかった。」
あ、これかなって思いました。
父の世代はいわば思春期が戦争まっただなかで、みんな、自分も戦争で死ぬと思いこんでいました。
おそらく、数年のうちに死ぬと思っているからこそ、天皇中心のゆがんだ精神教育にも耐えられたと想像します。
たとえばJK

昭和ヒトケタで、当時旧制中学生だった彼らにはそれが超リアルな現実だったワケです。
それが17歳で敗戦。
今まで信じさせられてきたことがすべて否定され、周囲が自由主義と民主主義でいっぱいになったのです。
言って見れば、
「究極の価値観逆転状態」
だったことは容易に想像できます。
だから、やたらモノわかりが良くなったり、かと思うと急に封建的なことを言いだしたり。
子供のころから、そのギャップに戸惑ってきました。
「この国のかたち」
彼が歴史小説家として調べ上げた様々なことがらがこのエッセイに詰められています。
ワタクシが大好物な司馬遼太郎サン。

彼の本はほとんど読んでいますし、同じ本を何度となく読みなおしていたりしています。
この本を読むと、それまでアタリマエのように受け止めていた生活慣習がいつの時代に、どのようにして成り立ってきたモノであったのかが、まるで解剖を見るように理解できます。
第6巻まで出版されたところで絶筆となったこの本は、彼の遺作とも言えるものです。
文字も大きくて読みやすいのがまたウレシイ。
一度父と、この本に書かれていたことを話してみようと思います。
元気なうちに。