いよいよ入院の日が来ました。
前泊です
たまたまその日、相部屋の空きがなかったのか、個室となりました
夜は眠剤をもらったかな?覚えていませんが、多分ぐっすり寝たと思います
翌日、何時からの手術だったかも記憶にないのですが、
家族が集まり見送ってくれました。
事前にオペ室で流す曲の好みはあるのか?と聞かれていたので、
冷えたオペ室に、好みの洋楽がうっすら流れていた記憶があります
数を数えているうちに、夢の中。
そこから3時間半くらいで終わったようです。
術式は従来のラブ法といって、背中の患部を10㎝メートルくらい切り、
背骨や神経を避けて、髄核を取り出すというものでした。
ICUに少しいたのかな?寝ているのでわかりません。
気付いたら相部屋のベッドで寝ていました
当然、導尿されているし、ドレーンもついているし、点滴もしているので、寝たきりですが、
夜中に熱発はしたようで、夜勤巡回の看護師さんが冷やしてくれたような・・・
朝目覚めると、尿意がある・・・
バルーンが入っているのでおかしいなと思うけど、どうしても尿意がある
ナースコールをすると、男性看護師さんが来てくれて、バルーンがねじれていたのを確認し直してくれると、スーっと楽になりました。
お腹が空く感覚もあり、多分昼食から通常食が出たと思います。
ベッドをギャッジアップしてくれて、必死で食べたのだけは覚えています
切っているので痛みもあるものの、トイレ歩行はその日から始まったかな?
それでもまだ危ないので、ナースコールをしてからだったと思います。
夜中のトイレはいちいち呼ぶことなく、勝手に行っていたと記憶しています
それから10日間の入院生活。
ママ友数組や、会社関係、日替わりでお見舞いも来てくれて、退屈することはなかったです。
病院の食事が案外美味しいのと、前日だかにテレビのモニターから、2種類の中から自分の食べたい方を選べるので、食事制限のない整形外科だったのも幸いでした
リハビリも徐々に始まり、車椅子の移動も慣れてきたころ、1階にあったコンビニへと行くのも楽しみの1つでした。
その時の一番の収穫は・・・
これが美味しくって、連日通うのですが、なかなか置いてなくってね・・・
何日目だったか、まだシャワーの許可がない時に、
看護師さんがー台シャンプー台でシャンプーをしてくれた時は、本当に気持ちがよかったです
しかもその看護師さん、妊婦さんで産休に入る直前の方でした。ありがたや~~
オーダーしていた、ごっついコルセットのつけ方も教わり、
傷も順調に回復していき、診察で退院許可が出た時は嬉しかったです。
退院の日、当時車を二台保有していたので、夫が運転できる方の軽自動車で迎えにきてもらったので、帰り道にある美味しいパン屋さんへと寄りました。夫の運転と、車の振動はきつかった~
その時、駐車場からお店へと歩く時、娑婆へ出たような気持ちで歩いたのですが、
スタスタと歩けない自分がもどかしかったのも記憶にあります。
自宅に戻ってからも、そりゃ不自由でした。
家事?どうしたかな?できないよね・・・でもできる範囲でやったかな?
座骨神経の痛みは髄核を取ったのでなくなってはいたものの、
患部の傷の痛みや、座骨神経に沿った痺れは残っていました
よく表現として使う、薄皮を剥がしていくような回復とでもいいましょうか?
オペしたからって、一足飛びで治るものでもないし、
体にメスを入れることの重大さは、相当なものです。
ただその傷も、今ではうっすら言われないとわからないレベルです
末端に向かう痺れも、主治医は残るかもしれないと言っていましたが、
その通り。
10年以上経っても、足の外側がうっすら痺れています
その後の経過は順調といえば順調ですが、
寒く冷えるような時には、神経性疼痛(ピリピリと電気が走る)が出ることもあるし、
重心が外に抜けてしまうために、魚の目ができてなかなか取れなかったり・・・
それでも今こうしてテニスもできるようになったのは、その後の生活改善の賜物でしょうね~
というのも、腰椎椎間板ヘルニアは日進月歩により、今はオペをしない方が主流となっているし、術式もメスで切るのでなく、内視鏡下でやる手術も出てきたり、
切らなくても自然に引っ込むという(痛みを感じなくても、出ている人は多い)等、
いろいろわかってきています。
確かに初診から手術に至る過程の中で、痛みは軽減していたのですから・・・
切ったらスパっと痛みもなくなり、痺れなんか残らないものと思っていた私からすると、
切らない選択肢もあったのかと・・・(痛みの最中は、なかなか考えにくい)
今は情報化社会です。
都合のいい情報に惑わされることなく、質のいい回答を探して、自分に合った治療法を探していくことが、最善の策なのかな~
それよりも、病気にならない普段からの生活改善が一番重要なことですね・・・