「快」でいる。

今までずーーーーっと、教えてくれていたのです。(誰によってかはわかりませんが。)

私が「不快」である事は、好きな事をしていないですよ!というお知らせでもあった。

だから「不快」で居続けていた。

望んでいるから「不快」を続けたとも言えますけれど。

嫌をずーーーっとしているという事は。

ある意味「執着」してしまっているかもしれないのです。

怖いです・・・。

「不快」に「執着」し続けていた。

怖いですよね。

わかったら、修正です。

どうしたいのか、です。

「不快」がわかった。では、どうしたいのか?

私は「快」でいたいです。

それだけです。

自分にとって不快な事。

「不」は否定の言葉。

「不快」は「快」を否定している。

だから「不快」であり、「不快」を思うと「不快」ばかり引き寄せてしまう。

そして「不」の「執着」へと変化していってしまっているのではないでしょうか?

掃除の言われも多々ありますけれど、言葉を書いていたら思いました。

「不快」という言葉を掃除して「不」を取ると「快」のみになる。

一文字削れただけで、目の前が綺麗に見えるようになるのですね。

色々成功している人のブログを読んでいても書いてあるのです。

やりたくない事はやらない!仕事が嫌なら辞めてもいいんですよ。その方が絶対にうまくいきます!

確かに、そう書いている人は多くて成功している人も多いんです。

実際に何人もお会いしましたが。

実年齢よりもお若く、お会いする度に若くなっているのです。

本当に好きな事をしているので、仕事をしているという感覚がまるでないのです。

でも現実は家族を養わないといけないとか、どうしても「不」が出てしまうので、本当に心の底から思えない人にはお勧めはしていません。とも書いてはあります。

それは自分の心に従うというのでしょうね。どれだけ自分を信じられるか。

書いていて思いました。

私はどれだけ狭い世界にいるのでしょうか。

世界は狭くなっているとは言いますけれど、私の視線はもっと狭くなっています。