パリのワーママ フレキです ♪
今日もこのブログを読んで下さりありがとうございます。
毎日毎日離婚の事ばかり書きたくないと思いつつ。
私の人生そればっかりじゃないし、子供の問題もあるし
今日ふと思ったことをまた一つ。
修復したいと話し合いもしていたのに突然送られてきた離婚裁判の召喚状。
記載されていた
「4年間別居していて、夫婦関係は破綻している」
↑だから今後は自宅の家賃も払うのも当然ということを言いたいのだと思われる
という文章に凄く引っ張られてしまってました。
「私は夫の言うように現実から目を背けていただけだったのか」
「夫はただ逃げていただけのダメ男ってこと??」
なんて問いかけを無意識に沢山していたようです。
私の中の夫との思い出が徐々に薄暗くなっていたのに気がついていませんでした。
私にはshine講座で一緒に潜在意識を学んで以来支えてくれる仲間がいて、夫とのことで揺さぶられる度に助けられています。
その仲間の一人が先日遠方に住む旦那様の御祖母さんの葬儀に出席し色々考えることがあったと話してくれました。
そこでふと
「自分にもそんなことがあったな」
と昔の記憶が蘇ってきたんす。
90歳超えても一人暮らしを続け、仲間と旅行に出かける程元気だった夫の母方の祖父。
その義理の祖父が2019年秋に他界しました。
その時に家族4人で一緒に葬儀に出席するために、パリから車で2時間の都市へ泊りがけででかけた事があったのです。
既に別居して2年以上経った頃のことでした。
状況が状況とは言え、久しぶりに家族旅行ができたみたいで嬉しかったのを覚えています。
その葬儀の6か月前には、101歳と長寿だった義父の母も他界していました。
その時の葬儀では最初
「来なくていい」
と気乗りしなさそうな夫でした。
それなのに祖父の葬儀には自宅から車で一緒にでかけただけでなく、葬儀の後は近くにあるカン平和記念博物館に誘ってくれたんです。
家族そろって博物館!
まさかそんなところにまで一緒に連れて行ってもらえるとは思ってませんでした。
まるで亡くなった義母の計らいのような気すらしてしてしまって舞いがってしまってました。
その時に嬉しそうに私と夫の間に入ってはしゃいでいた次男や、
その様子を嬉しそうに見ていた夫の姿が忘れられません。
その年の夏遊びに行かせてもらった義母の家で、
「もういい加減離婚した方が良い」
と義母から言われ揺さぶられていた矢先のことでした。
義母や他の親族がいる前で博物館に誘ってくれたのも、庇ってくれたように感じて嬉しかったんです。
この時の幸せな思い出が、私が今日まで折れずに修復しようと頑張ってこれた原動力になってたように思います。
離婚裁判の衝撃で、そんな幸せな思い出のことなんてすっかり吹っ飛んでしまってました。
夫が本当のところ何を考えていたかなんてわからないです。
ただ一つの「真実」なんて存在しない
だと思います。
唯一つ言えるのは、私の心の在り方ひとつでどんな出来事も幸せな時間として受け取ることも可能だということ。
夫の態度を
「優柔不断さ」 として受け取って怒ってもよし、
「彼なりの優しさだった」と感謝で受け取っても良い。
全部自分で決めればいいのだと思います。