一夜明けて、複雑な気持ちを持ったままやらなければいけないことをメモに書き出して
淡々と順番にやっつけていかなければ…。
昨日、マンモと超音波(エコー)検査で『乳がん』の疑いがあると、
先生(今思えば、若い女医さんだった)から、大学病院での精密検査を強く勧められたあと、
優しい物腰の看護師さんがこれからの流れを(大学病院の予約の仕方、紹介状と画像のディスクを渡されて)説明してくれた。
ふと、今日の診察は午後になります。と初めに言われたことを思い出して、
「あの…確か、今日の診察は午後になるっていうことでしたけど、もう終わったってことですか?」
「…はい。マンモの結果を見て、先生が先に診たほうがいいと判断して。もう、おわりましたよ。」
それから、会計までまた、しばらく椅子に掛けて待っていた。
だんだん状況が、輪郭をあらわしてきた。
手の先が冷たく、しびれてきた。 レイノーが出た。
会計をにこやかに済ませて、停めていた車に戻った。
ずっと平静を装っていた分、車の運転席に座った途端、歯の根が合わず、
足の先から上がってくるような震えがきた。
誰かにこの状況を分かってほしくて、同情してほしくて、子供たちとのグループLINEに
「がーん!ママは乳がんらしいです」
と打った。
しばらくして娘から、「まだ、良性の岩もワンチャンある?」
とレスポンス。
そうだったらいい。そうだと、半分ぐらいは思っている。
でも、先生の有無を言わせないような表情と言い方。 はっきり『がん』だとは言わないけど切迫した感じ。 きっと、先生は確信しているのだろうと、私は感じてしまった。
どうしたら、なにをしたら、これから何を、次はどうすれば……
どんどん震えが大きくなり、狭い車の運転席で、自分のフリースの上着の袖を口に当てて
「があぁぁぁぁぁぁ---------」
と思い切り叫んだ。 涙は出なかった。
そこに留まってもいられない。 自宅に向かって車を走らせた。
途中、何度も運転以外に意識が飛んでいると感じながら、そのたびに
「やばいやばい。しっかりしろ!」と口に出して、家に戻った。
庭の工事が続いている。
母の葬儀の段取りもまだ途中。(17日の朝、母が永眠しました)
午後に、大学病院の予約を電話でしなければいけない。
弟に連絡…、看護師の友達にもしこりのこと相談してたから…
玄関を入る前から「おかえり!」と吠えている愛犬のお腹をなでながら、涙が出た。
連絡したすべての人が、同情してくれてそして大事にするように、何かあったら助けになりたいと言ってくれた。
離婚して、すべてのことをリセットするつもりで、断捨離も庭の工事も、一人で生活していくための仕事も、お金の算段も、始めたばかりだったのに、
膠原病を宣言され、母が亡くなり、乳がんを疑われている。
そして、コロナのためにそのすべてのことに制限が少なからずかかっている。
なんだろう。 庭をいじったから? お母さんの介護を人に任せたから? 離婚したから?
何がいけない?? 何か間違った?
年回り? 厄年?? 風水? 手相?
帰って来て、ひとしきり泣いて、友達や弟とメッセージをやり取りしているうちに、ストン。と肩の力が抜けた。
しょうがない。ひとつずつやっていこう。
私の座右の銘は「一生一度、何事も経験」 じゃん!
午後になって大学病院に予約の電話をした。
今年中に診てもらいたかったけど、年明けの1月6日に予約が決定した。
一夜明けたけど、マンモの後の胸の痛みが全然ひかない。 いやだなぁ。痛いのは。