この シミがついてしまった

古い七夕の短冊は


198577日に

私のおばあちゃんが作って

願い事を書くようにと

私に手渡してくれたものです。


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夏休み前の テスト勉強をしていた時に

おばあちゃんが  2階の私の部屋へ来て


今日は ほら、七夕だから

そう言って

手渡してくれたのを覚えています。


六本木の夜遊びが 楽しくて仕方なかった

19歳の私。



就職活動がそろそろ始まり

テスト勉強に本腰を入れてた

19歳の私。


正直、七夕なんて忘れていて、勉強中に

お部屋に入って来たおばあちゃんに

ムッとした19歳の私。


あとで書くから



おばあちゃんに冷たく言ってしまった

19歳の私。




そして 短冊に書いたのは 

七夕が終わる夜でした。



早く就職が決まりますように


楽しく旅行が出来ますように


みんなが健康で過ごせますように



書いた短冊が 今も私の元にあるのは

この短冊を おばあちゃんに

渡せなかったということです。

おばあちゃんが用意した竹に

飾られなかったのだから

七夕の願いごとなんて

叶うわけなかったのでしょう




私の3つ目に書いた

みんなが健康に過ごせますように

これが 願いとは反対へ向かいました。



1ヶ月も経たないうちに

元々 気管支系が弱かった

おばあちゃんの呼吸が苦しくなりました


肺線維症 という 聞きなれない病気で

年齢的なこともあって

医師の診察を受けた時は 直ぐに入院と 

余命宣告があったようです。


私は おばあちゃんが入院しても

また元気になって

夏が終わるまでには退院出来ると

信じていました。



私は直接聞かなかったけれど

余命宣告らしきものがあったのは

母の様子で感じていたのに。


おばあちゃんは ずっと一緒。

いなくなるなんて これっぽっちも

思いませんでした。



だから予定通りに 夏休みに入ってすぐに

初の海外旅行で

グアムへも行ってしまいました。



後で知ったことですが

私が旅行中の3泊の間

親戚一同が集められる事態にも

なったそうです。



その危機を乗り越え、

私が旅行から戻ると

おばあちゃんは力こそなかったけど

話すことも出来たので、ここでも 


おばあちゃんは治る


100%信じる自分がいました。




8月8日の午後に

おばあちゃんに会いに病院へ行くと


すっかり弱くなったおばあちゃんが

スイカが食べたい と言ったので

小さく四角に切ったスイカを

綺麗なガーゼに包んで

口の中へ入れてあげました。



もう噛む力がないので

こうして味わうしかできなかったのです。



私は母方の一番孫で

他の誰よりも おばあちゃんっ子で

一緒にいる時間も長く、


夏になると

私が大好きなスイカを丸ごと冷やして


お昼寝から起きたら切ってあげる


…と 二人でニコニコしてた時間を

思い出していました。


おばあちゃんの切ってくれたスイカを

頬張ってた頃を思い出していました。


その夜  日付が変わった深夜に

おばあちゃんは 

もう一緒にスイカを食べれない遠くへ

逝ってしまいました。




1ヶ月前に おばあちゃんと一緒に

七夕をしなかったことが

私の生涯の後悔となりました。



あの時、すぐに短冊に書いて

おばあちゃんと一緒に

竹に飾っていたら



短冊を置いて

寂しそうに私の部屋を出ていった

おばあちゃんの後姿が

今も苦しくなるほどの後悔です。




毎年の七夕で 思い出すのは

おばあちゃん。



32年経った今も

この短冊を手放せずにいます。