時間は命だ

大切な時間を何にどれだけ使うかは

各々の価値観が反映されるだろう


同時に相手の時間も命だ

自分の時間を大切に使う同様に

相手の時間をも大切にするのは当然だと思う

 

コスパの時代からタイパの時代に

変わってきたと言われる昨今

時間に対する考え方が大きく変わってきたことは間違いない

 

が。気になる事があるのも事実だ

 

何か一つの事、自分が直面したくない事

が起きた時にそれについて深く考える、内観するという時間さえも

タイパという言葉をつかい無駄な時間扱いしている気がするときがある

 

もしくはタイパという言葉のもと、結論を早急に求めてネットで軽く調べて

知った気になったり分かった気になったり…



タイパ…タイムパフォーマンス

掛けた時間に対する効果や満足度を重視する考え方だと思うのだけど


何かに直面した時に向き合う時間に効果があるのかないのか満足度が高いのか低いのか、は、やってもいないのに何故、ないとか低いとか言えるのだろうか?

物事は点の連続だけれど、その点は一点おいて終わりだろうか?

そこに連続性はないだろうか?

それが線になって気づいた時の感情は感覚は本当にタイパが悪かったのだろうか?

 

これこそ時間をかけて考えてみてもいいかもしれな…じっくり向き合わない、待てないのは、本当にタイパだけなんだろうか、って


 

これさえもタイパが悪いって言われそうだけれど…^^; 

本当はどうしたいのか、どう命を使いたいのか、身体は教えてくれるんだよ(^^)


 


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