フランシスコの平和の祈り
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、
自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
この祈りの言葉を知ったのは…
20代の頃
勤めていた保育園が…
カトリックだったからだと思う。
曲がりなりにも…
そんな存在になりたいと
何度も読み返して来た。
しかし しかし…
💧
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
平和の器…どころか…
嫌味や悪口
不平不満
文句や嘆き…etc
そんな中で生きて来た。
とにかく自分が正しく…
世の中や他人が間違っている。
おかしいのだと…![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
日々の雑多、忙しさにかまけて…
愛を忘れて行きて来たと思う。
最近になり…
「 奇跡のコース 」に出逢い
「 愛 」とは…を
あらためて知ることとなった。
どの人間も…
いや…すべてが…
「 愛 」そのものであり
「 愛 」のあらわれであり
人の中に 物の中に…
出来事の中に…
「 愛 」を見ることを知った。
与える側と受ける側があるのではなく…
各々を「 愛 」の存在と見る。
各々を「 愛 」の存在と知る。
主体と客体 がある訳ではないのだ。
愛とは信頼すること
信頼だけがすべてを助ける。
相手を見下すことをやめ相手の中に
光を見ましょう。
奇跡のコース…
香咲弥須子さんの言葉。
そして、エゴは小賢しい…とも言っている。
エゴは
自分は、正しく…
相手が、いかに間違っているかを
探すのが得意であり
自分は、頑張っているのに…
世の中は なぜ 認めないのかと
不平不満を言い
自己主張をする。
いかに、自分は正しく…
いかに、自分はよくやっているかを
アピールすることが大好きだ。
その陰には…
人を 世の中を見下す必要がある。
そんなことをしてまで…
自分の存在を守ろうとする。
それが、エゴ…
「 愛 」とは…
そんなことに勤しまない。
相手の中に…
光を見出す。
もちろん、自分自身中にもだ。
わたし達は…
「 愛 」そのもの…
らしいから(^◇^;)💦
らしい… ではなく…(笑
「 愛 」そのものなのだから。
分別のない世界…
判断のない世界…
すべてを「愛」と認める世界…
これを実践出来たら…
かなり「楽」だと思う。
だって、わたし達は…
四六時中…
人々を物事を
瞬時に判断し
評価し
生きているのだから。
もう…
そんなことは止めにして
あなたも わたしも…
「 愛 」そのもの
「 光 」そのものであると
そのことを実感して…
生きていきたい。
生きて行こう…✨
大好きなみちすけさんの絵🖼↓
Have a good time 〜♪