ゆるしについて、日常的に考えます。

小難しいことではなく、自分の心に「ヤダな」「つまらない」「なんで?」など、人に対する批判や否定の気持ちが生じたタイミングで考えるだけです。

まぁだからこそ日常的になるという始末(笑)

苛立っては、ゆるしについて考えるという一連の思考の流れ。


もし批判も否定も苛立ちも、なにも私に生じなかったら、ゆるしなんて考える必要はないということです。


ここのところ繰り返し私が引っかかっているのは、ネガティブな思考に対するジレンマです。


私のぶっちゃけレベルとしては、

“絶対ポジティブの方がいい!”と思っているわけではない。

ネガティブかダメ!と思っているわけではない。

話術のないネガティブな話はまったく面白くない。

その人独特のネガティブ話には同意する気になれない。

マイナスな局面を考えてから、それが翻ったときの落差で喜ぶ、という作話的で時間のかかる行為がセコく感じる。

単なるネガティブは根拠が薄く、実際には実現しないため、聞いている時間が無駄に感じる。

外れても何度もネガティブな予想をする人を、とても勘の悪い人と見なしている。


ぶっちゃけてみて、私が一番引っかかっているのはなんだろう(笑)


「無駄がイヤ」ってことかな?

私にとっての無駄というのは面白くないことに時間を割かれることかもしれません。


ここに来て、またもや面白いか面白くないかのテーマが出てきました。

私の魂の中心的資質「面白がり」のなんと根深いこと!

こうなると笑ってる場合じゃないんだよね。

私は「面白くない」ということをゆるせないわけです。


ネガティブに考えることもその人にとって貴重な体験だと知ってはいても、いざとなったら私は「私の時間は面白さで満たしてくれ!」と激しく思っているようです。


本当になんとかしなくちゃいけないのは常に自分だわ(笑)

そんな自分のこともゆるさないといけないしね!

やっぱり常に考えることになるよね〜ゆるし!


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