人それぞれに、今世でやろうと決めてきたことが違います。
それは“天命”というものです。

人が天命を持っていて、しかもそれはみんなバラバラだと知らなかった頃、私は「みんな自分とやりたいことは同じだろう」と考えていました。

みーんな、言い方の工夫をしたり、人に自分の考えを伝えたり、そのために言葉のチョイスを一生懸命に考えていると思っていました。
みんなそうでしょ!そうだよね!と思っていました。
だけどそうじゃなかった!(笑)
今となっては当たり前だけども。
人はみんなそれぞれにやりたいことが全然違うと気づいた時は、本当に驚きました。

人のために滅私て、陰ながら懸命に支える人のことを、仕えるという天命のない私は、その価値や喜びやパワーがまったくわかりませんでした。
不遇な運命の人に対して、かわいそうにと慰めの心を傾ける人のことを、慈しみの天命のない私は、優しいなぁとしか思わなかったり、ときには人のことをかわいそうがることは、私の好みじゃない…などと思っていました。

自分と天命が違う人がやろうとしていることや、その人の気持ちは、なかなかわからないもんなんです。
自分の天命にないと、そもそもそんなふうにしたくないし、出来ないし、しようと思わない。
それよりも、みんな自分と同じことに興味を持って、それにチャレンジするべきだと思ってたりします。

慈しみの人は、自分の近くで懸命に仕える人を見るとなんだかかわいそうになって、それをやめさせたがったりします(笑)
その人この地球に、それやりにきたんだよ!なんですが。

育てる天命の妻は、その天命がない夫とは、子育てのやり方やテンションがまったく違う!と怒ったり悲しんだりします。
あなたの夫は今世は育てにきてないんですよ〜

結局は、天命によってこの世でしたい役回りが違うから、その人がやってることにあんまりこだわらないで。
天命が違うとそれについての喜びを共感できないから!

みんなこの世では、それぞれ自分にとって一番効率の良いやり方でエネルギーを発して、それを糧にして学びたいのです。
糧になるものが違うので、どうぞ自分にない感覚の人を否定しないでください。

「私と違うね、あなたはそういう人なんだね」と思ってください。

天命の仕組みを知らない人は、それを知る必要があるタイミングで知ります。
でもあなたは今知っちゃったんだから、必要なタイミングが来たのです。
選択肢として使ってね。


あなたがサイコーと思っている糧を、人がサイコーと言わなくてもいい。

それぞれにそれぞれの糧。

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